まだ20代の幾原邦彦が、飲み会でJ・A・シーザーに声をかける。
「シーザーさん、僕、アニメを作ってるんですよ」
「えー、どんなアニメ? 寺山さんもアニメ好きだったよ」
「僕は近いうちに自分の作品を作りますから、音楽おねがいします!」
「あー、いいよいいよー」(めっちゃ軽い調子)

9/12、ワタリウム美術館で行われたトークイベント「革命になる音楽」。
万有引力主宰のJ・A・シーザーと、『少女革命ウテナ』『輪るピングドラム』監督の幾原邦彦が、シーザーの音楽や寺山修司について語り合うイベントだ。二人のトークイベントは、「寺山修司◎映像詩展」に続いて二度目。会場は満員。

幾原は寺山修司のファンを公言している。出会ったのは18歳。
「『俺は他のやつとは違う!』と根拠もなく思っていた僕みたいな人間が、寺山さんの作品を見て、バットで後ろから殴られたような衝撃を受けた。
暗転のときに非常灯を消してドアに釘を打っちゃったり、観客だと思ってた人が実は役者で隣から話しかけられたり…衝撃的な『事件』ですよね。それまではガンダムを見てたような18歳の僕が、下調べもなく、いきなり寺山修司に出会ってしまった。寺山さんと僕には運命がある!」
10代の幾原を後ろからぶん殴った寺山作品の音楽を作っているのはシーザー。司会の草野象(オン・サンデーズ)の「運命としてJ・A・シーザーにも出会ったわけですね」にうなずく幾原。そのときはまだ、「何者でもない」一人のファンだ。
「東京に上京して4~5年で、アニメのディレクターになった。
友達の友達に、万有引力の役者がいて、『挨拶に行きたい!』と思って、飲み会に乗り込んだ。そのときが初めて」

さすがの行動力! 念願の対面を果たした幾原が、シーザーと交わしたのが冒頭の会話。
「『やったー、言質取ったぞ!』って感じだったのに……シーザーさん、数年後その話をしたら覚えてない!」

切ない片思い状態だった幾原。それでも約束通り、『ウテナ』にシーザーの楽曲は用いられることになった。当時、周囲は強く反対した。
「『これはちがうんじゃないの? 宝塚的な音楽をかければいいんじゃないの?』って反対された。
でも、宝塚的な画に宝塚的な音楽は、安全だけど事件性がない。僕がやりたいのは事件性だった。自分の中で最大の事件であった寺山さんのニュアンスを出すには、シーザーさんしかないと思った」
シーザーが、『ウテナ』に本格的に参加するのは後半。当初は既存の楽曲を提供する形だった。
「シーザーさんは放送するまで、何が起こってるのかわかんなかったと思う……」
どうでした? というように、シーザーをちらっとうかがう幾原。
「わかんなかった。
『えっ?』だった、いろんな意味で。本当にコレでいいのかなあと見るたびに思ってました。ヤンチャな人なんだなーと。楽しかったですね」

「僕はシーザーさんの音楽をキッチュなものに戻したいと思ってた。寺山さんの作品も、シーザーさんの音楽も、80年代の時点ですでに文学的なものになってた。そうじゃなくて、若いカルチャーとして語られるところに戻したかった。
もともと寺山さんってそういうところの人じゃん! 賢い人とか、サブカルの人じゃなくて、日常生活をしている人とか、ガンダムを見てるような人に、シーザーさんの音楽を聴いてほしかったんです」
「僕は彼とは違うやり方だった。寺山さんの作品をそのまま若い子に見せて、どういうふうに、どういう事件として捉えるのかという挑戦をした。一人でも二人でも影響を与えられれば、演劇の役割は終わっている。一人一人が変わることで、世界が変わる。革命性が生まれる。万有引力のやり方は、マッチ箱を渡して、十年後に返してもらうようなもの。
僕は違う方向に革命をしたけど、幾原くんはよくやってくれたと思います」
やり方や考え方に違いはあるけれど、どちらも寺山作品やシーザーの音楽を若い世代に届けようとしていたのだ。
「寺山さんがシーザーさんに音楽を作らせたのは、『若い人に気持ちを届けたい』というのがあったんじゃないかな。あのころ、どんどん若い人がふつうの人になっていった。それを革命しようと思って、シーザーさんを使った。『俺が音楽家だ! J・A・シーザーはつまり俺だ! 紀伊国屋シアターでやっているやつは俺のライバルじゃない。60年代は石原裕次郎がライバルだったけど、もっとカッコイイのが俺のライバルだ。ピンク・フロイドだ! そこで中心になるのがJ・A・シーザーだ!』……どうですかね」
後半、寺山修司を降臨させた幾原に、シーザーは「うん、うん」とうなずく。

話は自然と寺山修司の演劇の話になっていく。シーザーは天井桟敷に入ったときのことを振り返る。
「寺山さんの演劇の作り方っていうのは、書かれた台本を俳優にあてはめるというやり方じゃない。ワークショップがあって、俳優のクセだったり、人生に合わせた台詞を書く。天井桟敷に入る前、台本に書かれた言葉を間違えないようにオドオド演じるようなことは最低の仕事だなと思ってた。でも、寺山さんの演劇はそうじゃない。「今」という時間の土を感じた。まさにここに、いるべき場所を見つけた」
「僕とか草野さんは後ノリじゃないですか。まざりたかったですよね。僕は80年代的な空気にノレなかった。ツラくて。シーザーさん、田舎で浮いてたでしょ? 僕も浮いてたんですよ。アニメ業界に行けばガンダムの話もできて浮かないかと思ったら、僕がガンダムを好きなところとみんなが好きなところが違ってた。結局浮いてた。後だからそう思うのかもしれないけど、60年代・70年代の空気にまざりたい。ライブラリーで見ると、純粋に見えるんですよ」
幾原がふと見上げたのは、後ろに展示してある市街劇『ノック』の地図を拡大したパネル。『ノック』は1975年4月19日の午後3時から20日の午後9時まで、30時間にわたって阿佐ヶ谷の市街の中で行われた演劇。ゲリラ的・同時多発的に演劇が行われた。観客はどこで何が起こるか書かれている地図を買って、その地図を見ながら町中を移動した。
たとえば地図には、「20日16;30~18:30 ぼたん湯における男事件(入浴料金75円)」と書いてある。
「銭湯に観客が押しかけて、服も脱がないで浴場を見ている。湯船に入っている人が、まったく同じタイミングで右手を上げたり、まったく同じタイミングで体を洗ったりする。ふつうのお客さんもいるんですよ。入口のおばあさんがものすごく驚いていた」
市街劇『ノック』は無許可で行われていたため、近隣住民から苦情が殺到。新聞の三面記事になってしまうような騒ぎに。
「『ノック』が原因で、寺山さんが退団届を出したんですよね。なぜかっていうと、彼の方でストップがかかってきたのに、僕らがやめなかったから…。寺山さんは警察にマークされて、公衆電話から『公演は中止だ!』って連絡してきたんだけど、僕らは『寺山修司が一度はじめたものをやめるわけがない! 誤報だ!』と思って最後までやっちゃった」
「ビーストモードに突入してますよね! 寺山さんの作品を、いまは映画や本でみることができるけど、一番面白いのは演劇なんだよ。事件性、スキャンダル。今の若い人はそれを経験できないのが残念。映画や本もいいんだけど、事件じゃないんだよな~。そこがな~」
リアルタイムに参加しないと絶対に楽しめない非日常。リアル脱出ゲームの先取りみたいだ。1990年生まれの自分には絶対に体験できないのが悔しく、体験できた人がうらやましい。

質問コーナーにうつると、18歳の男子が真っ先に手を挙げた。
「寺山さんの作品に『ウテナ』から入りました。『ウテナ』ではシーザーさんの楽曲を、光宗信吉さんがアレンジしてますが、最初に聞いてどう思いましたか?」
おおっ、ウテナファンだ。ウテナ展の限定商品だった「絶対運命黙示録」ネックレスを首に提げている人も見かけたし、今日の観客はウテナファンがおおぜい来ているらしい。
「光宗さんのアレンジはね、折衷案で出てきたの。シーザーさんの音楽をそのまま使いたいけど、光宗さんアレンジじゃないとダメだと言われた。光宗さんは『幾原さん、プログレってこうですよね!』ってアレンジをしてくれるんだけど、僕は『ちがう! 汚れ方がちがう! もっと汚れてる感じなんだよ!』。でもどうすれば汚せるかわからなかったから、合唱団と一緒に僕が歌ったりしてるわけですよ。僕が歌ってるのは汚すため。…で、出したCDが売れて、レコード会社が気をよくした。それでシーザーさんを迎えることができた」
シーザーのレコーディングを見て、幾原は気づく。
「ステレオじゃなくて、モノラルなんですよ。シーザーさんは録音のとき、イコライザーをなるべく揃えて、音を寄せようとする。『広げるんじゃなくて寄せるんだ! J・A・シーザーの妖術見えた!』」
「芝居に使う音楽は上手(かみて)と下手(しもて)で聞こえ方が違ってちゃだめだから。右からはギターしか聞こえなくて、左からはドラムしか聞こえないんじゃ困るので、モノラルにするんです」
「光宗さんに『わかりました、モノラルです!』って。シーザーテクニックはかなりつけたよ~」
18歳男子はさらに質問を続ける。「『ウテナ』に曲を書き下ろす上で、なにか意識したことはありますか」。シーザーが答える。
「『絶対運命黙示録』は、もともと『カスパー・ハウザー』の中で使われた曲。その世界だけは残さなきゃいけない。アニメで使われるからといって、中途半端に変えたりはしないで、自分のオリジナリティを出そうと思った」
「シーザーさんの音楽が、やろうとしていた方向性を勇気づけてくれていたし、アイコンだった。シーザーさんの曲がなければ、『ウテナ』はここまで息の長いものにならなかったと思う。J・A・シーザー様ですよ! 一ヶ月のおこずかい2500円を使い果たしてシーザーのカセットを買ってなかったら、今の僕はない」

最後の質問者は、20歳の女子。
「あの、今日初めて寺山さんの作品を知ったんですけど…」
「マジで!?」身をのけぞらせる幾原。
「私、最近悩んでいることがあって。悩んだときに見たらいい寺山さんの作品はありますか」
「えー、えー、まず、なんで悩んでるの?」
「今年就職したんですけど、ブラック企業で、一ヶ月で辞めちゃったんです。『ウテナ』を見て、『自分、がんばらないとな…』っていつも思ってるんですけど、そういう、モチベーションが上がるような」
「モチベーションが上がるような!?」
「シャッフルして選ぶしかないですね」
悩む幾原に、あっさり投げ出すシーザー。
「『書を捨てよ』…ウーン。『田園に死す』………ううーん………。やっぱり、映画や本じゃなくて、舞台でしょうね。ブラック企業で市街劇をやれば? ブラック企業にもう一度帰って、みんなで一斉に動き出す! とか。ブラック企業の社長を『警察~!』って慌てさせようよ」
市街劇『ブラック企業』! ぜひやってみて、youtubeかニコニコ動画にアップしてください!

市街劇『ノック』の映像も見ることができる、寺山修司展『ノック』はワタリウム美術館で10/27まで開催中。映像資料が多いので、あっという間に五時間くらい経ってしまう。また、毎週土日には
特別展示「寺山修司の言葉をリーディングする」も行われている
。あのころ『事件』をリアルタイムに体験していた人も、寺山修司をぜんぜん知らない人も、心のドアをノックされに行きましょう!
(青柳美帆子)