いつもニコニコとしており、誰よりも丁寧で好々爺然としたその風体は七福神の一角に鎮座ましましていそうだが、多くのクリエイターからの愛され方を見るに、彼こそが日本ポップカルチャー界のミューズ(女神)であるとしか思えない。
不慮の事故でなくなってから1年余り、最近になってその功績と人柄が急速に再評価されている。きっかけとなったのは先ごろ刊行された『ポップ中毒者の手記』シリーズ3部作の文庫化。
「川勝さんが亡くなった後に、僕らが絶対にしなければいけないことはこのシリーズの文庫本を出すことでした」と語ってくれたのは自身も伝説的な編集者であり、若き日から川勝さんと仕事を一緒にしてきた盟友の渡辺祐さんだ。
「本にならないと残らないものもありますから」
とはいえ一冊500ページもあるような文庫本を三冊も出すことは出版不況の今日、かなりのチャレンジだった。しかし渡辺さんを始めとする関係者一同の尽力と、愛でられしミューズ川勝さんの引力で、一周忌のタイミングから立て続けに三作刊行されるに至った。
同シリーズは、川勝さんが1986年から2008年までポッポカルチャーについて記したものをまとめたもので、同時代に川勝原稿とともに育ったアラフォー以上のポップフリークを中心に順調に売上げを伸ばしている。
そして最近になって若い世代のポップカルチャー、サブカル好きにも新たなファンを生んでいるという。
「ヒップホップやカフェ文化、今私たちが自然と享受しているカルチャーは80年代頃に源流があるものが多いと思います。当時のものは洗練はされていないかも知れないですが、初期衝動が詰まっている分スゴイ熱量をもっています。それを面白いと思ってくれる人がいるのかも知れません」
その熱量はそのまま川勝原稿の特徴でもある。時代を彩ったポップ界周辺の数々の固有名詞が高密度に矢継ぎ早に盛り込まれている文章を消化するのは一筋縄にはいかないが、そこに生じる強烈な勢いと圧が紡ぎ出す独特の世界観にはついつい引き込まれてしまう。
「トゥーマッチなくらいに何でも盛り込んでしまうのが川勝さんのスタイルですから(笑)。映画にしてもライブにしても、自分が面白いと思ったものは徹底して伝えたかったんです」
TVブロスで連載していた人気コラムでは改行を用いずに黒丸で文章を区切るという独特のスタイルを用いていたのも「改行するスペースがもったいない」ということから始めったことだった。
「好きなものができると周りのものが見えなくなるくらい完全に没入してました。たとえばそれまで大してジャズを聴き込んでいるような人ではなかったのですが、ジャズミュージシャンの菊地成孔さんに興味を持ってからは、猛烈にジャズの研究をした形跡があって、ああ川勝さんハマってるんだなぁってわかるんですよ。それが仕事になるかならないかとか度外視なんです。でもそうした水面下での積み重ねが圧倒的な基礎体力になっていました」
『ポップ中毒者』シリーズでは、古くは勝新、デニス・ホッパー、デツインピークスからSDP、渋谷系、タランティーノ、CKB、最近では菊地成孔、宮藤官九郎まで、この20年間最前線を観てきた目利き川勝正幸のポップカルチャーに対する愛情が圧倒的な熱量で詰まっている。
「現在はネットで簡単に情報が取れるようになった分だけ、何かをじっくり練り込む時間が全然取れなくなってきてます。中には集中力をもって濃ゆい仕事をしてみたいんだけど出来てないなぁという人もいるとは思うのですが、そういう人は川勝さんの書いたものを読んでケツを叩かれて奮起して欲しいですね(笑)」
初夏に東京で開かれ大好評だった「Works of Popholic Man - 川勝仕事展」が 10月には大阪の梅田ロフトで開かれる予定の他、まだ単行本化されていない原稿の編修も出版に向け急ピッチで進めれられているなど、川勝さんを再評価するモメンタムは留まるところを知らない。
そんな動きを天国の川勝さんはどう見ているのだろうか。きっとポップウィルスが新たに感染していく様子をニコニコとミューズの微笑みで眺めているに違いない。
(鶴賀太郎)