それにちなんで、第150回芥川賞に輝いた小山田浩子「穴」を読み直してみた。(第150回芥川賞予想レポートはこちら。直木賞編はこちら)
未読の方のために、まずは 簡単にあらすじを紹介しよう。
契約社員として働くあさひ(私)は、ある日夫が転勤になったことを知らされる。新しい勤務地は同じ県内だがかなり県境に近い場所である。そこはたまたま夫の実家がある市内でもあった。夫の実家は隣に貸家を所持していたが、ちょうど空家になったばかりである。義母から家賃なしで住んでいいと言われ、夫妻は引越しすることを決める。あさひにとってそれは、勤めを辞めて一時的にでも専業主婦になることを意味していた。今の仕事にさほど執着のない彼女は、その事実を問題なく受け入れる。
話が出てから2週間後、実際に夫妻は実家のある土地へと引っ越してきた。
ある日あさひは義母から頼まれ、彼女が忘れていた払込票を処理するためにスーパーよりも少し遠いところにあるコンビニエンスストアに行くことになる。コンビニエンスストアへは川沿いの遊歩道を進んでいけば着く。繁茂した草に覆われた川岸を行く途中で、彼女は大きな黒い獣に遭遇するのである。
───暑さのせいで目が変になったのかと思ったが、何度見てもそれは生き物、明らかに哺乳類の何かの尻から脚にかけてだった。(中略)中天に太陽があるせいでほとんど影がなく、そのほとんどない影ごと体であるかのように、それはトコトコと先を急いでいた。
この「犬でも猫でもいたちでもたぬきでもいのししでもないように見え」る獣を追いかけたあさひはそこで穴に落ちてしまう。
───穴は胸くらいの高さで、ということは深さが一メートルかそこらはあるのだろう。私の体がすっぽり落ちこんで、体の周囲にはあまり余裕がない。まるで私のためにあつらえた落とし穴のようだった。(中略)穴の中の居心地は悪くなかった。草の匂いだろうか、皮の匂いだろうか、妙に清々しい空気が穴の中に満ちていて、私の体中を浸しているような気がした。
この穴から人の手を借りて彼女は脱け出し、無事にコンビニエンスストアに行き着くのであるが、そのへんから小説は奇妙な方向にねじ曲り始める。彼女の義父が日々見せている振る舞いに裏の意味があるように感じられるようになるのがその第一歩だ。次に、あさひの前に中年男が現れ、自分は彼女の夫の兄だが実家の物置きに隠棲してもう二十年が経った、と自己紹介する。あさひは「兄」の存在をまったく知らされていなかった。義母がまったく男について言及していなかったのはなぜなのか。そもそも彼はどのようにして生計を立てているのだろうか。
この後小説は、終局へと加速度をつけて滑り込んでいく。
私が連想したのは、あさひの境遇はまるで異類婚姻譚で山中に住むことになった女房のようだ、ということであった。異類婚姻譚とは、親が山中の獣(蛇や猿など)と交わした約束によって娘を嫁にくれてやらねばならなくなるという話で、たいていは三人姉妹の三女が山中に赴くことになるのだが、機会をとらえてその獣を殺し、再び里に戻ってくることになる。
柳田國男は『山の人生』の「六 山の神に嫁入すということ」で、この昔話類型を「魔界征服譚」であるとし、(1)元は娘が単純に山の神と婚姻するという話であったのが、次第に対象を妖怪と見下すようになり、それを殺害して人間が征服するという話に変化した、(2)共同体からはしばしば不可解な理由で女性が失踪したが、山の神に嫁入りした、と理由づけて納得した、のであるとしている。
『穴』の主人公・あさひの引越し場所(嫁入り先)は人里から切り離された場所で(最寄駅までバスで40分の異界)外の人に会うのは極めて困難である、という状況にある(『遠野物語』に出てくる山のマヨヒガのようだ)。山中に囚われて里の論理から切り離され、次第に山人としての自我を備えていく過程が描かれた小説、と私は読んだのであった。
そう考えると、あさひが遭遇する黒い獣の正体も怪しく思われてくる。異類婚姻譚に当てはめて考えるならば、獣の正体は夫に他ならない。
一般的な異類婚姻譚との違いは、「家」には夫だけがいるのではなくその母、あさひから見れば姑にあたる女性がいることである。この姑はあさひに優しく、少しも辛くは当たらない。「家」は彼女の持ち物であるため、あさひたちは彼女の手のひらの上に置かれているのも同然なのである。小説の最後は「私の顔は既にどこか姑に似ていた」と結ばれる。そこでの暮らしに同化し、山人として生きる運命を受け入れた結果であろう。異類婚姻譚は獣の殺害で幕を下ろすのが通常のありようだが、ここでは人が獣を受け入れたのである。
こんな風に『穴』を読みながら空想を拡げてみた。勝手な夢想であり、おそらくは誤読である。『穴』にはさまざまな読みのバリエーションを許す懐の広さがある。
(杉江松恋)