去る4月16日に起こった韓国の旅客船の沈没事故をめぐっては、ひたすらに経済発展を追求する韓国社会のゆがみが最悪の形で表れたとする論説も出始めている。それを目にして私はふと、2005年のJR福知山線での列車脱線事故を思い出した。


この4月25日で、乗客と運転士の計107人の死者を出したあの大事故が起きてから9年が経った。それとあわせて4月29日夜、NHKのBS1で、ドキュメンタリー「Brakeless(ブレーキなき社会)~JR福知山線脱線事故9年~」が放映された。この番組はNHKとイギリスBBCが共同で、事故の被害者や関係者などに1年以上にわたり取材したものだという。

外国人スタッフが参加しているせいもあってか、事故の背景として、高度成長期からバブルを経て現在にいたるまでの日本社会の変容に着目するなど、幅広い視野から検証しているのが目を惹いた。また事故が起きるまでの経緯を、実写映像や模型風のCG、さらにはアニメーションなどいくつかの手法を組み合わせて再現していることも、興味深かった。

このうちアニメーションの原画は、事故列車に乗り合わせた(つまり被害者の一人である)イラストレーターの男性が描いたものだ。
この男性にとって、また同じく取材に応えている列車に友人同士で乗り合わせた女性2人にとっても、毎日同じ時間に乗る列車は日常の一部となっていた。

被害者たちは、日常からしだいに異常事態へと巻きこまれていくさまを淡々と語っている。事故からそれなりに時間が経っているとはいえ、その冷静な語り口は正直いって驚きだった。彼・彼女たちはまた、車内の様子も細かく記憶していて、その描写はじつに生々しい。前出の女性の一人は、いつも利用していた列車なので、窓の景色がだいたいどれぐらいのスピードで流れるか体で覚えていたが、このときはいつもより速く感じられたと証言する。同時に窓が細かくガタガタ震えていることに気づいた。
「速いですね」「速ないですか?」という声があちこちから上がり、「同じイベントを共有しているみたいな」妙な一体感が車内を包みこんだという。

列車が猛スピードで走り出したのは、運転士(当時23歳)が運行ダイヤの遅れを取り戻そうとしていたからだった。駅の発着時間は秒単位で決められているが、ラッシュ時には客が乗り終えるまで時間がかかってしまい、列車はどうしても遅れがちだ。運転士は焦るがあまり、事故直前にも伊丹駅でオーバーランを起こしていた。なぜそれほどまでに必死になっていたのか? その大きな原因として、事故後の調査では「日勤教育」の存在がクローズアップされた。これは当時、JR西日本の内部で、ミスを犯した社員に課せられていた厳しい指導である。
事故列車の運転士もまた、過去にミスの責任を問われ、一日中文書を書かされたり、事情聴取を受けるなどしていた。

運転士は「今度ミスをしたら運転士をやめさせられるかもしれない」と語っていたこともあるという。事故直前、運転士の頭には、乗務後に上司にどう報告するかということしかなかったのではないかと、取材に応えた複数の運転士や事故列車の車掌が口々に語っている。はたして、多くの運転士が列車で通りかかるたびに恐怖を抱いていたという、マンションと接した急カーブで事故は起こった。

事故発生時の様子も、アニメーションで再現されている。横転する車両のなかを、血まみれになりながら転がってゆく乗客たち。
前出のイラストレーターの絵は、シンプルなタッチながら、事故の凄惨さは充分に伝わってくる。テレビや新聞などのメディアではもちろん、事故現場に倒れた死者や重傷者をそのまま映像や写真で見せるということはありえない。だが、こうして被害者の手になる絵や証言を通してやっと、彼らの味わった苦痛もその何分の一かは追体験できたような気がする。

イラストレーターの男性はまた、アルミ缶と思しき材料を使って、事故列車のオブジェもつくっていた。ひしゃげた車両の隙間に挟まれ血だらけになった乗客(作者本人も含む)を小さな人形でかたどったそのオブジェは、あくまで彼が自分のためにつくったもので、人前で見せたのは今回が初めてらしい。その制作意図を問われ、事故の痕跡が失われていくことが悔しかったとも語っている。


一方、友人とともに事故に遭った女性は、当初、一生消えない傷があれば、事故のことも忘れないと考えたという。治療時に肩の骨に入れられたネジもしばらく抜かずにいたものの、その後あらためて決心して抜こうとしたときには、ネジはすでに骨と一体化してしまっていたらしい。

あるいは、事故で体と脳に後遺症を負ったべつの女性は、事故に遭ったことを常に紙に書き留め、家のあちこちに掲示している。そうしておかないと、なぜ自分がこのように不自由な体になったのか忘れてしまうからだという。

人々の抱える事情はそれぞれ違うとはいえ、事故を忘れまいとする姿勢は同じだ。番組中には、事故で家族を失った遺族も何人か出てきたが、そのうち息子を亡くした男性は、「一日空いてるときはのんびりするとあかんから」と、朝から晩まで自転車を漕いでいるという。
「あかんから」という言葉には、喪失感をまぎらわせようという思いに加え、やはり事故を忘れまいとする気持ちが込められているのだろう。男性はまた、「事故を起こした運転士だけの責任で終わりというのは、とてもじゃないけど納得できない」と、事故を起こした企業の責任について問いただす。

事故後、JR西日本は、調査委員会を設け検証し、そのうえで事故を誘発するような要素をなくしていった。運転士の再教育や余裕のないダイヤを見直したほか、自動列車停止装置(ATS)などさまざまな事故予防策も導入された。それは当然のことなのだけれども、それで事故原因の根本まで断ち切れたといえるのか。

冒頭にも書いたとおり、この番組は、高度成長以降の日本社会の変容から、事故原因を探り出そうともしている。たとえば、バブルと時期的に重なった国鉄民営化を境に、他社との競争力強化という目的に加え、効率化を追求する社会の要請もあり、列車のスピードアップがはかられた。そのことが事故の遠因となっていることはたしかだろう。

バブルはとっくに弾けたが、より効率的にという社会の要求はますます強まりつつある。鉄道など交通機関だけでなく、宅配便やコンビニといった流通業など、この20年、10年のあいだにさらに便利でスピーディになったものは少なくない。だが、便利になった反面、そのしわ寄せもどこかに跳ね返っていたりする。事実、それは、一昨年の関越自動車道での高速バスの事故(運転手の居眠りが原因だった)のような形でたびたび表れている。

もちろん、私自身も含め多くの人はこれらシステムの恩恵を享受しているわけだから、その存在を真っ向から否定するのは難しい。だからこそ、番組のラストにおける、被害者女性の「いつも何かに焦らされているような感覚が一番まずいんじゃないか。時代が求めているものと、人のできることのバランスがとれていないかぎりは、何を変えても意味がないような気がします」との言葉は重く響いた。

なお、この番組は5月14日まで、NHKオンデマンドでも配信中なので、ぜひもっと多くの人に見てほしい。
(近藤正高)