「またここも、きったねーババアがいっぱい来てるね」

そんな風に言われて、商店街を埋め尽くした満場のお婆ちゃんがドッと笑う。誰も怒りゃしない。
みんな笑顔だ。

「お婆ちゃん、ダンナさんは元気かい?」
「3年前に亡くなったヨ」
「そりゃ淋しいね。でも、クビ絞めたのはアンタだろう?」

これでドカンと笑いが起こる。なぜだ!? 耄碌しているからか? そうじゃない。お年寄りの皆さんは、この毒舌が聞きたくて集まっているのだ。

『ウルトラマン』に科学特捜隊のアラシ隊員役で出演していた俳優・石井伊吉は、1968年、お笑い番組『笑点』の中で司会の立川談志によって毒蝮三太夫と改名させられた。
その翌年、自分の名前を冠したラジオ番組『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』(TBSラジオ)が始まった。これが毒蝮三太夫──通称マムちゃんの毒舌なトークと相まって大当たりし、いまでも『大沢悠里のゆうゆうワイド』内のコーナーとして45年間も続く大長寿番組となった。

マムちゃんはマイク1本を手にして、日本全国の商店街に出掛けていく。そこで集まった視聴者(大半はお年寄り)を相手に、冒頭に書いたようなトークを繰りひろげる。その口調はいかにも浅草育ちらしい軽妙さで、ときには過激に、ときには温かく、お年寄りたちの心を解きほぐす。

そんなマムちゃんが、この番組を続けていく中で見てきた老人介護や福祉の問題を、活字にした。
それが本書『毒蝮流! ことばで介護』だ。

目次をざっと書き写します。

第一章 お年寄りに「快適空間」をプレゼントする
第二章 下町の長屋流コミュニケーション術
第三章 大学教授として介護のこころを伝える
第四章 ジジイもチャーミングにならなきゃな
第五章 下町流「かまい合い介護」のすすめ
第六章 「元気の運び屋」を目指そう!

とにかく実にいいことが書いてある。本人の語りをライター(ベテランの山中伊知郎氏)が文章に起こしているので、いつも通りの乱暴な表現が頻出するが、むしろそうでなければマムちゃんじゃない。

ためしに数えてみましたよ。目次と見出しを除いて、「ババア」が125回。
「ジジイ」が106回。「くたばり損ない(または「死にかけ」など、それに類する表現)」が11回も出てきた。あっはっは、活字でも手加減なしだなあ。

これほど乱暴な言葉遣いをしていながら、なぜマムちゃんの言葉はお年寄りたちに支持されるのか。その秘密は第一章で早々に明らかにされていた。


 しゃべるだけじゃないよ。
聞くってのが、とても大事なんだ。
 特に年寄りは、自分の話を聞いてほしいんだよ。年をとればとるほど、聞いてくれる人間が減っていくんだから。
 しかも、上の空でいい加減に聞いてるんじゃダメ。次に自分は何を言おうかな、と考えながら聞き流しているようじゃ、いけない。心をこめて真剣に聞いてあげなきゃ。

 たとえばババアが、死んだ亭主の女グセが悪くて、ほとほと困った、なんて話をするとするだろ。ちゃんと聞いた上で、
「そうかい。んなら、亡くなってよかったじゃないか」
 と答える。相手は、こっちがしっかり聞いてるのがわかってるから、そんな反応でも、とても喜んでくれる。自分の生きてきた道を認めてもらったみたいに喜んでくれる。


さらにこうも言う。
「お年寄りには三つの『かける』が大事だ」と。笑って話しかける、肩に手をかける、気にかける。そうすることで、お年寄りたちは自分の存在を認めてもらった気持ちになれるわけだ。それを象徴しているのが、番組中にマムちゃんがよくやる名前の呼びかけだ。


「オレの名前を知ってるか?」
 マムちゃんが聞いても、また答えが出てこない。仕方ないんで、マムちゃん、大声で、
「ドクマムシ、って言うんだよ。じゃ、ババアは、名前なんてんだ?」
「ハツヨ」
「おー、ハツヨちゃんか。だったらさ、オレが『ハツヨちゃん』て呼ぶから、『マムちゃん』て呼び返すんだぞ」
 そう言って、マムちゃんは「ハツヨちゃん!」と呼ぶが、オバアチャンは「はーい」と答えてしまう。


これ、誇張してるんじゃなくて、ラジオ聴いてると本当に頻繁にこういうことが起こってる。でも、それでいいのだ。そして最後はマムちゃん、こう締める。

「でもな、こういうババアが一生懸命働いたお陰で、今の豊かな日本があるんだぞ」

そりゃお年寄りが慕ってくるわけだよ。

45年という年月は恐ろしい。ジジババいじりで名を売ったマムちゃんが、番組を続けるうちに自分自身も立派なジジイになってしまった。現在78歳。商店街で「死にぞこない」呼ばわりした相手の年齢を聞いてみれば、自分より年下だった、なんてことは何度もあるだろう。それでも、マムちゃんには永遠にジジババいじりを続けてほしい。

ひとつ残念なのは、マムちゃんに「てめェ、まだ生きてやがったか」と毒を吐いてくれる人がいないことだ。そんなことが言えたのは立川談志ぐらいのものだっただろうが、その談志ももういない。
(とみさわ昭仁)