ラッセル・ブラッドン著『ウィンブルドン』は、一九七九年に新潮社より邦訳が出て話題となり、文庫も出ていたのだけれど、長らく絶版となっていた。復刊を望む多くのファンの声が届いたのか担当編集者の熱意か、このたびめでたく東京創元社より復刊とあいなった。
原著の発行は七七年なので四十年近く前の作品ということになるが、そんなことは問題にならない。“このような名作が品切れになっているという不幸”が解消されたことをとにかく喜びたい。ずっと評判だけを聞いていて読めないでいた人、初めてタイトルを聞いた人、昔読んだけど手元になくて再読したい人……とにかくみんな買えばいい。買うしかない。読んで面白かったらまた誰かに勧めて買わせる。そうしないといかな名作といえどもあっという間に本屋の店頭から消え去ってしまうご時世なのだ。

錦織圭の活躍でテニス人気も盛り上がっているようで(ぼく自身はまったくスポーツ観戦をしないのだが)、ぜひともこの機会にもう一度広く読まれて欲しい作品だ。

本書は、タイトルで分かるとおりテニス小説の傑作であり、同時に優れたサスペンスでもあるのだが、何より皆さんに訴えたいのは(怒り新党風)、二人の男の友情と共闘、対決の物語であるということだ。──ん? 腐女子の皆さんのアンテナにビビッ、と来ただろうか?
「ホモの嫌いな女子なんていません!」という余りにも有名な名言を発して世間を震撼させたのは『げんしけん』の大野さんだが、ぼくはあえてもう少しマイルドにこう言いたい。「バディ物の嫌いな人間なんていません」と。
バディ物、は基本的にはホームズとワトスンとか、ブッチとサンダンスとか、ジョン&パンチとかまあそういう風な男二人が手を組んで探偵をやったり悪いことをやったり、敵と戦ったりするタイプの物語を指すわけだが、ここではもう少し広く、「男二人の関係性を中心とした物語」とでもしておきたい。

ぼくは以前から、「腐女子アンテナ」というものは、実のところ物語において二人(以上)の男が出てきたとき、「誰もがツボにはまる関係性」「面白い関係性」に敏感に(過敏に?)反応しているだけではないか、と考えている。
例えば男の友情物語が嫌いな人間はまずいないが、それを腐女子流に言うと「ホモの嫌いな女子なんていません」になるわけだ。「二人の男の友情」→ホモ認定はまあ基本として、そこからさらに「ライバル同士」→ホモ、「師弟関係」→ホモ、「憎み合ってる」→ホモ、と発展するのも「面白い」=ホモと捉えれば何となく分かってくる。
そして、このような男同士の友情と共闘、そして対決を共に描ける絶好のテーマがスポーツである。仲間はもちろんのこと、時には敵との間にさえ生まれる友情や葛藤をいくらでも生み出せる舞台だからだ。
 聞くところによると、『キャプテン翼』あたりがまさに現在腐女子と呼ばれている人たちが大量発生した作品の元祖であるらしい。『テニスの王子様』『スラムダンク』などを経て、現在も隆盛なスポーツ漫画、アニメの人気作はどれも男子だけでなく女子の心もがっちり掴んでいる。
『ハイキュー!』しかり『弱虫ペダル』しかり。ことさら腐女子受けを狙っているからというわけでなく、複数のキャラをしっかり立てて面白い関係性を築くこと=腐女子に(も)受けるということなのだと理解している。

さてこの『ウィンブルドン』である。ぼくはこれを、確か高校生の時に読んで大興奮したわけだが、腐女子だのBLだのなんて言葉もなく、当然のことながらそんな読み方が出来るなどとついこの間まで思いもしていなかった。しかし、復刊のニュースを聞いて話をつらつら思い出すにつれ、読み返すまでもなく「これって腐女子にどんぴしゃじゃん!」と思い至ったわけなのである。いやつまりは、「よくできたバディ物」ということなのだが。

片やオーストラリア王者、二十三歳のゲイリー・キング。パワフルで熱血だが、頭に血が昇りやすいせいか、狡猾なライバル、世界ランク一位のアメリカ人、スコット・デニスンにいつもしてやられ、いまだウィンブルドンでの優勝はない。
そしてもう一人はソ連(もちろん冷戦時代)が満を持して育て、送り込んできた秘密兵器、十七歳の天才、ヴィサリオン・ツァラプキン。ただひたすらテニスというスポーツを愛し、勝ち負けよりも相手と、そして観客と一緒に素晴らしいゲームを作り上げることに情熱を注ぐ余り、結果には大きな波がある。天真爛漫な美少年で女子人気は高いが、本人は女の子にもお金にも無頓着。
言葉も通じない二人はテニスをすることによって一瞬で心を通わせる。

ソ連幹部の不興を買ったツァラプキンは心ならずも亡命せざるをえなくなり、キング家の居候となる。シングルスではライバルだが、ダブルスを組むと敵知らず。

……とここまで書いてしまったが、ほんの数十ページでこれだけのことが語られる。
ここからの展開も書いてしまいたいのだが、どう書いても実際読むときの興を削ぐような気がして手が止まる。ぼかして書くけれど、何も知らずに読みたい、という方は以下はもう読まないでほしいくらいだ。

『ウィンブルドン』というタイトルなのだから、クライマックスは全英オープン、ウィンブルドンのセンターコート──決勝戦であることは当然予測できるだろう。
その通りです。その決勝戦で、ある犯罪が引き起こされる。そしてツァラプキンとキングの二人は、単に互いが戦うだけでなく、自分たちの、そして観客とその中にいる女王陛下の命を賭けたテニスをしなければならなくなるのだ。
しかもその勝負には二人のプレイスタイルと性格が大きく関わってくる。
年長で友情にも厚いが、やや思慮に欠けるキング。純真無垢で年齢以上の幼さを持っていながら、いざという時は沈着冷静に状況を分析し、最善の判断のできるツァラプキン。
最近スポーツ報道(特に日本代表の対外試合)でよく連発される言葉に、「絶対に負けられない戦い」というのがあるが、うんざりするしかない(「勝たなければならない」ならまだ分かるが、「負けられない」ってなんだ)。もしそんな言葉が当てはまる試合があるとしたら、まさに本書のようなケースくらいだろう。
「絶対に負けられない」二人が繰り広げる死闘の結末を、ぜひ自分の眼で確かめてもらいたい。
(我孫子武丸)