それを松尾スズキが14年前に既に描いていたことを驚くと同時に、問題が解決することなくますます深刻化していることに絶望も覚えざるを得ない。
皮肉なのは、この物語の中で、小銭を拾ったり、死体を食ったりしながらいじましくしたたかに生きる人たちの姿が今、ますます希望を与えてくれるということだ。
弱者にとことん優しい松尾の作品が、今こそ必要とされているのを痛感する、その最たる例は、誘拐監禁された主人公ケガレの過去のトラウマの解消の仕方だ。穢れたという思いを拭えず記憶を失ってしまった少女が、クライマックス、ある心境に着地する流れは、涙なくしては見られない。
成人した「ケガレ」が「ミソギ」と名前が変わるのは、穢れが取り払われた証。初演、再演では「ミサ」という名前だったが、今回「ミソギ」と改名されている。再演にあたって台本が変わることはよくあるが、登場人物の名前が変わるのは珍しい。
その理由を松尾はパンフレットで「そうしたほうが、話がわかりやすくなると思ったんです。昔はそのわかりやすさに対して警戒心があったんだけど、でももう記号的になってもいいかって思うようになって」と語っている。