デザインとグラフィックの総合誌『MdN』の3月号で「渋谷系ビジュアル・レトロスペクティブ」という特集が組まれている。サブタイトルが「フリッパーズ・ギター『CAMELA TALK』から25年」。
に、にじゅうごねんも経ってしまったのね……。

一応、渋谷系という言葉について説明しておくと、90年代初頭、渋谷宇田川町界隈にあった中古レコードショップや、同じく渋谷に大型店舗を構えていた外資系レコードショップから育まれた「恐ろしく高い音楽的リテラシーを前提としたムーブメント」(本特集まえがきより)。代表的なアーティストとして、ピチカート・ファイヴ、オリジナル・ラヴ、コーネリアスなどがいる。その嚆矢だったのが、小山田圭吾と小沢健二が結成したフリッパーズ・ギターだ。

ちなみに、渋谷系という言葉の命名者と噂されていたHMV渋谷のマーチャンダイザー・太田浩は当時、「ベレー帽をかぶったおしゃれな女の子が洋服を買うような感じで楽しめる音」と説明していたという(若杉実『渋谷系』シンコーミュージック)。うん、こっちのほうがずっとわかりやすい。


渋谷系のなんだかおしゃれなサウンドをパッケージしていたのが、これまたおしゃれなCDジャケットデザインだった。その概要をまとめようとしてのるが本特集ということになる。渋谷系という言葉が生まれたのは1993年のことだが、ここでは1990年にリリースされたフリッパーズのセカンドアルバム『カメラ・トーク』のジャケットに「渋谷系ビジュアル」のルーツを求めており、カラーグラビアではジャケットデザインの変遷や、当時の色校、パリで撮影されたアーティスト写真の未使用カットなどが掲載されている。

ほかにも、ピチカート・ファイヴの代名詞ともなった特殊仕様パッケージの変遷とリーダー・小西康陽のエッセイ、コーネリアスのアートワークについての解説、小山田が率いたトラットリア・レーベルのジャケット群に、小沢健二やスチャダラパーのPVのディレクター、タケイ・グッドマンへのインタビューなどがラインナップされている。

「渋谷系ビジュアル」の軸となる人物が、アートディレクターの信藤三雄だ。当時、渋谷系の音楽に触れていた人なら、誰もが知っている名前だと思う。
なにせ、件の『カメラ・トーク』をはじめとするフリッパーズのアルバムすべて(3枚のみだけど)をはじめとして、ピチカート・ファイヴもオリジナル・ラヴも、コーネリアスも、すべてこの人の手によるデザインだったからだ。当然、本特集にも彼のインタビューとともに、そのアートワークがたっぷりと楽しめる仕様になっている。

とはいえ、信藤氏自ら本特集の起点にある『カメラ・トーク』のジャケットについて「このデザインに関しては思い入れは無いもんね」と言い放ったり、カラードットが印象的なサードアルバム『ヘッド博士の世界塔』についての言及がなかったり、ピチカート・ファイヴ特集の中の『オーヴァードーズ』についてのキャプションが丸々別のものと間違えていたりと、なんだかツメの甘い特集なのだが、前掲の『渋谷系』には渋谷系ビジュアルのことにはあまり文字数が割かれていなかった(図版もなかった)ので、サブテキストとしてこの特集を携えておくのはいいんじゃないかと思う。やっぱり渋谷系の話題にはが欠かせない要素なんだから。

フリッパーズの2人が「Blue Shinin’ Quick Star」のPVを撮影する際、まだ解散の話は一切出ていなかったが、彼らの指定で作られた撮影用のポスターに「TESTAMENT(遺言)」と書かれていたというエピソードはカッコいいなぁ、と思う。あと、それほどCDの売り上げが芳しくなかったピチカート・ファイヴが贅沢なパッケージを使えていたのは、特殊仕様の費用をアーティストが自腹で払っていたからなんだという。
小西氏は「バンドの意地というか見栄というか」と説明しているが、それはそれでカッコいいエピソードだ。

なお、信藤氏と彼が率いたコンテムポラリー・プロダクションのアートワークをもっと知りたければ、1996年に刊行された『シーティーティーピーのデザイン』を入手することをおすすめする。たぶん、古本でなら手に入る。
(大山くまお)