東日本大震災以降、地震や津波に対する強い危機意識が、それ以前よりも広く浸透するようになった。
しかし、人間は忘れゆく動物だ。その時の悲しみや苦しみ、恐怖感、危機感といった“実感”とともに伝え続けていくことは、容易ではないだろう。例えば、避難訓練。できる限りの危機感や真剣さなどの実感を併せ持って訓練をしてこそ、その意味があるのだ。
【ベビーカーを押して避難訓練してみたら…】
「津波が来たら高いところへ逃げるプロジェクト」。これは、近い将来に高い確率で大地震が発生し、その際には大津波に襲われる可能性も高い、神奈川県鎌倉市で2013年から行われているイベントである。
このイベントの中で実施されているのが、「津波が来たら高いところへ逃げる訓練」だ。大地震と大津波の発生を想定して、とにもかくにも高いところへ逃げる、というこの訓練に、筆者も参加をしてみた。
まず、同行させてもらったのは、「ベビーカーを押して逃げる訓練」。

ベビーカーには2才の子が乗り、それをお父さんが押す。目指す先は、標高約31メートルの高所にある学校の校庭だ。いざスタートしてみると、なんとも速い! お父さんが快足ということもあるが、スピードと勢いがついたベビーカーも段差をスイスイと乗り切っていく。
息も切れ切れなお父さんは、「ベビーカーを押して避難、はありかもしれませんね。実際は、避難する人であふれかえる中を、こんなスピードで押すことはできないでしょう。けど、まずはベビーカーに子供を乗せて逃げ、行けるところまで行ったらベビーカーを捨てて、抱っこで逃げる、というのは、親の体力を温存する意味でもありえるかも」とのこと。
【高齢者をおんぶして避難訓練してみたら…】
続いて同行したのは、「高齢者とともに逃げる」というシチュエーションでの訓練である。大津波が来たとき、高齢者はどうしたら良いのか。高所まで走って逃げることが、一般的な高齢者に可能なものだろうか。
今回、この訓練に参加した80代の女性は「地震が来て津波が来たら、もちろん逃げたいですけど、逃げ方を思い描けたことがないんです」と話す。走って逃げられますか? と筆者が問うと、「もう何十年も、走ったことないからねえ」と不安げな表情を浮かべた。
訓練では、中年男性がその高齢者をおんぶし、高所にある学校まで走ることになった。

体力に自信ありの中年男性と、体重30キロ代の高齢者。ついに訓練がスタート!
……少し走ると2人から悲鳴があがった。「キツイ! 手が痛い」と男性。
何度かやめては、またおんぶをする、を繰り返して、どうにかゴール。中年男性の顔には疲労の色が浮かんでいた。「おんぶで津波から逃げるというのは、現実的ではないかもしれません」と中年男性が話すと、高齢者も「年を取ると、おんぶをされることもつらいんですね。こうまでして逃げたいとは思えないかしら……」とつぶやくように漏らした。
【土地勘がない場所で避難訓練してみたら…】
最後は、埼玉からこの訓練に参加した夫婦である。「鎌倉に土地勘の無い観光客が津波から逃げる」というシチュエーションだ。「海があるところへ観光に来ているとき、地震が起きて津波に襲われることだってありますものね」と2人の顔は真剣だ。

スタート地点は、由比ヶ浜。鎌倉へ遊びに来ているときに大地震が発生した、という想定である。
いま、実際には地震は起きていない。津波が襲ってくることもないが、夫婦は必死の形相で鎌倉の街を走る。時折、海の方向に目をやるので、どうしましたか? と筆者は尋ねた。すると、「津波がどこまで来ているか、目視しようと思って」と二人は答えた。
その言葉を聞き、筆者の頭に、東日本大震災時の津波の映像が次々と浮かんだ。きっと、この夫婦も同じなのだろう。あの映像は、映画などではない。遠い外国の出来事でも、遥か昔のことでもない。ほんの四年前に、この国でたしかに起こった現実なのだ。
夫婦が目指したのは、鶴岡八幡宮だった。
ハアハアと息を切らし、汗びっしょりの二人。奥さんも目を閉じ、苦悶の表情である。ちなみに2人とも、日常的な運動はあまりしていないとのことだった。
「津波が襲ってくることをイメージして必死で走りました。けど、じゃあ、本当に津波が襲ってきたとき、さらに必死で走ることになってもキツくないかっていったら、そんなはずはない。このキツさを実感しておくことが、何よりの避難訓練になるんじゃないですかね」とご主人は話した。
大津波に襲われたときは、ひたすらに高いところへ避難をする必要がある、といわれている。ならば、まずは、その逃げるべき高所にアテをつけておく必要があるだろう。そしてまた、高所まで走って逃げられる体力も普段からつけておかなくてはなるまい。
そして、そのことを後世まで伝えていくこと。今回体験したような、大きな実感を伴う避難訓練が、日本中で行われるようになり、未来まで続いていくことを願ってやまない。
※本記事内の内容や感想は、あくまでもイベント内のものです。
(木村吉貴/ 編集プロダクション studio woofoo )