「紅白」の企画はそもそも、NHK局内で新しい時代にふさわしい音楽番組が検討されるなかで生まれた。敗戦後の日本を占領し民主化を推し進めようとしていたGHQ(連合国軍総司令部)は、改革の一つに婦人の解放を掲げていた。ここから近藤は、体格や体力差が影響するスポーツでは男女対抗という形式は無理だが、歌なら可能であり、より純粋な男女平等を実現できると考えたという(太田省一『紅白歌合戦と日本人』)。
■却下された「紅白歌合戦」のタイトル
こうして企画は練り上げられ、そのタイトルも「紅白歌合戦」と名づけられた。しかしこのタイトルは、このころ放送・映画・演劇の制作に関する一切を指導・監督していたGHQのCIE(民間情報教育局)に却下されてしまう。というのも、近藤が提出した企画書にあった「合戦」という記述を、NHKの翻訳担当がbattle=戦闘と訳して誤解を招いたためだ。あわてた近藤は「バトルではなく、マッチ(試合)です。あなた方の大好きなベースボールやフットボールと同じものです」とアメリカ人の担当者を相手に必死に説明したという。そこで「紅白音楽試合」とタイトルを変更することで、ようやく企画が承認された(NHKウィークリーステラ臨時増刊『紅白50回 栄光と感動の全記録』)。