さまざまな問題をクリアしながら「紅白音楽試合」は大晦日の本番を迎える。このときの出場者や選曲、歌唱順についてはっきりした資料が残っておらず、不明な点もあるが、紅白両チームから司会も含め各14組が出場したとされる。その演目は「音楽試合」というタイトルにふさわしく、近藤泉のバイオリン演奏による「ユーモレスク」に、桜井潔楽団の「長崎物語」が対抗したほか、川崎弘子の琴、福田蘭童の尺八などバラエティに富んだものとなったようだ。
このような番組の構成について司会の古川ロッパは「てんで成ってゐない」と日記で酷評している。ロッパにしてみると、両軍から15人ぐらいずつ出てきてただ歌い、司会者はそのあいまにちょっとずつしゃべるだけというのがバカバカしく思えたらしい。2時間近く司会をして、すっかりくたびれてしまったという。ロッパ自身も最後に紅組司会の水の江に対抗して、翌年正月公開の映画「東京五人男」で歌った「お風呂の歌」を披露したが、うまく歌えず忸怩たるものがあったようだ。
しかしそれはあくまでロッパの個人的な感想にすぎない。演出の近藤の証言などに従えば、番組は十分に成功を収めたといえる。番組が始まるやいなや出場歌手への声援や野次の応酬となり、スタジオ内はおおいに盛り上がったという。観客は入れなかったが、ラジオで聴くうち熱狂したファンから応援の電話があいついだほか、NHKの玄関には粉雪が舞うなかスターが出てくるのを待つ人たちで黒山の人だかりができたらしい。ただし、帰りの車など確保できない時代だったので、出場者の大半はそのままスタジオに待機して元日の始発電車で帰ってもらったとか。「このとき飲んだにごり酒のうまさといったらなかった」と近藤は後年語っている(「朝日新聞」前掲記事)。そういえば、出演依頼時にあらかじめ「自動車で送って呉れるんでなくちゃ出ない」と条件をつけていたロッパは、スタジオには残らずやはり車で帰ったのだろうか。