【落合博満(1994~1996)】

日本初のFA移籍で巨人へ入団しました。40を超える年齢での移籍で活躍するか不安視されていましたが、卓越したバッティング技術は健在でした。1994年は優勝争いでの貴重なホームラン(この時の長嶋監督は「恐れ入りました」と落合に最敬礼していました)などで優勝に貢献し、1995・1996年にも打率3割超えの好成績をマークします。
「長嶋監督を胴上げできなかったら、末代までの恥」と巨人に入団した落合は、結果的に在籍の3年間で2度のリーグ優勝に貢献しました。しかし巨人に同じポジションの清原が入団したために退団。このとき落合は「長嶋監督が悩む顔は見たくないから」とのコメントを残しました。
【ジャック・ハウエル(1995)】
ハウエルはヤクルトに1992年から在籍し、MVPを受賞するなど優勝に貢献していました。そんなハウエルは1995年に巨人へ移籍し、シーズン前半はそこそこの成績を残していました。
しかし嫁との離婚訴訟が本格化してアメリカに帰国。結局戻ってこないまま8月に自由契約になってしましました。
【広澤克実(1995~1999)】
前記のハウエルと同じくして1995年にヤクルトから移籍。ヤクルトではファースト中心に1987年から8年間、全試合に出場していましたが、巨人では落合、清原らとポジションが被るため外野へコンバートされました。慣れないポジションでのプレーとともに骨折や脱臼などの怪我に泣かされ、1999年に巨人を自由契約となり阪神へ移籍しました。
【石井浩郎(1997~1999)】
近鉄から石毛博史・吉岡雄二とのトレードで移籍してきました。怪我などが多く成績は低調でしたが、大魔神・佐々木からの同点ホームラン、代打満塁ホームランなど印象的な打席もありました。
現在は自民党の議員になっています。
【清原和博(1997~2005)】

いわずとしたら「番長」清原。FA宣言により1997年、憧れだった巨人に入団しました。しかし移籍初年度は三振が多く、チャンスでも打てなかったため、ファンから大バッシングを受けました。
その後も好調なシーズンはあるものの、怪我で離脱することが多く、「プロリハビラー」と揶揄されることもありました。プレー以外でもFridayとのバトル、ダイヤモンドピアス、「清原軍団」、堀内監督との確執などさまざまな面で話題に挙がっていました。
【江藤智(2000~2005)】

移籍してきた2000年は長嶋監督の背番号「33」を受け継いで話題になりました。そしてこの年に江藤が放った優勝決定試合での同点満塁ホームランは今でも野球ファンの語り草です。
しかし2002年以降は成績が低迷し、西武へと移籍しました。
【ロベルト・ペタジーニ(2003~2004)】
ヤクルト時代は松井最大のライバルとして君臨し、2度のホームラン王を獲得しました。その松井がヤンキースへと移籍したため、その穴を埋めるべく2003年に巨人へ来ました。しかし本職のファーストには清原がいたため、外野へコンバート。不慣れなポジションだったので精細を欠くシーンが目立ちました。
私生活では、友達のお母さんだったという25歳年上のオルガ夫人とのイチャイチャぶりが凄く、二人は熱烈なキスをよくしていました。
【タフィ・ローズ(2004~2005)】
近鉄時代は王貞治氏の持つシーズン最多ホームラン55本に並ぶなどホームラン王を3度獲得しました。巨人移籍初年度の2004年にもホームラン王を獲得し、落合以来となる両リーグでのホームラン王になりました。
しかし2005年、外野守備(巨人では近鉄時代のレフトではなくセンターを守っていました)を巡って弘田コーチと激しい口論となり、「ジャイアンツ大嫌い」などの暴言を吐き騒動に。
【小久保裕紀(2004~2006)】

ダイエーホークスの精神的支柱でもあった小久保ですが、2003年オフに前代未聞の無償トレードで巨人に移籍しました。このトレードの理由には球団社長と揉めたことや、怪我の治療費を球団側が支払わなかったことからだといわれています。
2004年には巨人の右打者としては史上初のシーズン40本塁打以上を達成するなど活躍。そして2006年にはキャプテンに就任し、巨人でもそのキャプテンシーをいかんなく発揮しました。
【李承ヨプ(2006~2010)】
ロッテから巨人へと移籍し、2年連続で30ホームラン以上を打つ働きを見せました。しかしシーズンを通じて調子の波が激しく、打てないときはまったく打てませんでした。2008年の日本シリーズでは18打数12三振という不名誉な記録を残しています。
ここまで見てきたように、守備走塁に難がありパワー偏重の選手をポジションが埋まっているにもかかわらず、獲得することが多かったです。そのため、不慣れなポジションへとコンバートし、打撃成績も落としてあまり活躍できない悪循環になりました。そして実績だけを見て選手を選んでいたので、怪我などでろくに働かなかったというケースも多いです。
しかしこのような「4番コレクション」スタイルを改め、育成などに力を入れたことにより、巨人は2007~2009、2012~2014の2度の3連覇を達成しました。
「なんと言われようとオレ流さ」
「清原和博 番長伝説 1985~2008 『FRIDAY』が追い続けた24年間」
「オーナーズリーグマスターズ【OLM02 007】MT 江藤智」
「一瞬に生きる」