時は遡り1994年、イチローは弱冠20歳でシーズン200本安打を達成しました。この年のシーズンオフにスポーツ雑誌『Number』でインタビューを受けているのですが、読んでみるとこの時から随所にイチローらしさが表れていました。
【イチローのインタビュアーに注目】
まずイチローの発言の前に注目したいのはインタビュアー。このイチローインタビューを担当したのが故・永谷脩氏でした。当時イチローとは非常に親しく、この時期の『Number』でイチローのインタビューと言えば、ほぼ必ず永谷氏が務めていました。しかし1997年、イチローが言っていないことを記事にしたということで絶縁状態に。イチローのマスコミ嫌いの原因となってしまった人物です。
【野球のみに生きるイチロー】
イチローは1年を通してほぼ休まずにトレーニングすることで知られています。最近もイチローは年に3日しか休まないと、驚きをもってアメリカで報道されていました。この1994年のインタビューでもイチローは「日本シリーズのゲストで2日練習を休んだだけで、すごく不安だった。練習再開の日、ボールが当たるかなと思った」と語っています。20歳でありながら、野球のことを第一に考える姿勢がうかがえ、この姿勢は40歳を過ぎた今もまったく変わっていないことが分かります。
また、「オフは野球のことを忘れて頭をからっぽにという言葉を耳にしますが、僕の場合はバッティングのことは片時も頭の中から離れないと思う」ともインタビュー内で語っています。
【打率よりもヒットを大事にする姿勢はこのときから】
このときからイチローは「4割よりも200本を打ちたい」と語っており、打率よりもヒット数を大事にする考えを持っていました。これは下がることもある打率より、積み重ねていくことができるヒット数をモチベーションにしたいというイチローの信念によるものです。その考え方はメジャー移籍後も変わらず、10年連続200本安打という金字塔を打ち立てています。
【謙遜も見えるイチロー】
しかし当時のインタビューを見て今と違う部分がひとつあります。それは多少の謙遜のようなものがあるということです。メジャー移籍後のイチローといえば、己がしてきた準備、結果、技術といったあらゆることに強烈な自信があり、「プロ野球界で尊敬できる人はほとんどいない」などといったかなり踏み込んだ発言もすることもありました。
しかし1994年のイチローにそこまでの発言はなく、「『おまえって天才かな』と語りかけているようなところがある」(200本安打を振り返り)、「僕にしかできない(笑)ような気がする」(この年のある打席での技術について)と語っているに留まります。
メジャー移籍後は、「これは僕にしかできない技術がある」と断定系に変わっていることを見ると、プロとしてやってきた過程で確固たる自信を得るに至ったのだと分かります。
このように1994年のイチローインタビューを見てみると、プロ生活を通してまったく変わっていない部分と、さらに進化している部分があります。
(さのゆう90)
『イチロー(マーリンズ) 2016カレンダー』