浄土真宗は、何度も念仏の教えを聞き、その教えを自分の中で受け止め、いただく宗派である。その念仏の教えをドイツ語に訳すと当然ながら意味の歪みが生じる。ドイツ人は日本人以上に理屈で分からなければ納得しない人々だ。そのため論理的な理解を、信心の前に日本人以上に求める。まず坐り、体感できる禅宗と異なり、浄土真宗の布教はこの言語の問題が大きく立ちはだかって、入口を狭めている。
ドイツで宗教活動を完結できない難しさ
惠光寺は寺だ。だが日本のような檀家は持たない。寺へ参拝するドイツ人はいるが、それ以上の結びつきはないため、信徒からの寄付行為のみでの寺院運営が成り立っていない。そのため惠光寺の運営は仏教伝道協会からの資金に頼る。僧侶という職業が成立しにくいという点では、惠光寺もパリにある曹洞宗と同じ悩みを抱えている。

時に惠光寺は、本願寺派と仏教伝道協会という二者間において、難しい立場に立たされることもある。惠光寺はその成り立ちから浄土真宗本願寺派と関係が深い。ところが運営は仏教伝道協会により、宗派を超えた寺として行われているため、本願寺派としての活動が制限される。以前、本願寺派の連絡所を欧州に置こうという話が出た時も、その機能を恵光寺ではなく、アントワープにあるベルギー人住職の慈光寺(仏教伝道協会ではなく、同住職が個人的に営む本願寺派としての寺)に担わせることになったという経緯もある。