苦難を乗り越えてきたX JAPAN
ここまでの道のりは決して順風満帆ではなかった。1989年に「X(エックス)」としてメジャーデビュー。1992年に「X JAPAN」へ改名し、1997年9月22日に解散発表、同年12月31日に解散。その後2007年の再結成に至るまで、多くの壁が立ちはだかってきた。
バンド結成以来、国内外の若者に多大な影響を与えた彼らだが、ギタリストhide、ベースTAIJIの死といった苦難を乗り越え、ようやくここまでたどり着いたのだ。全盛期のX JAPANに親しみのない平成世代にとって、連日報道されたこれらのニュースは、ほとんど記憶にないだろう。とすれば、ボーカリストToshI(※2010年にTOSHIからToshIへ改名)を苦しめた洗脳問題についても、知らない人は少なくないはずだ。
ToshIとメンバーを苦しめた「洗脳」
X JAPANが「X」だった時代、海外進出を前に大きなプレッシャーを感じていたというボーカルのToshI。そんな時期、かれはある女性の紹介で自己啓発セミナーへと傾倒。これが、その後12年間に至る洗脳生活のきっかけとなった。その間、セミナー主宰者側に支払った金額は15億円以上にものぼったという。
セミナー主宰者から「X」の存在を否定され、罵倒され続けたToshIの心は、徐々にX JAPANから離れていく。
唯一無二のボーカルであるToshIを失ってはバンドが活動できない。苦渋の判断を下したYOSHIKIの意向もあり、1997年12月31日の東京ドームライブ「THE LAST LIVE〜最後の夜〜」をもって、X JAPANは解散する。この解散に最後まで反対していたのは、ギターのhideだったという。
ToshIの証言によれば、それ以降もセミナー代表からの恫喝や脅迫、暴力などの日々が続いたようだ。テレビの情報番組にも幾度も出演し、取材も受けていたToshIだが、情報番組での発言は、すべてセミナーの人間に指示されたシナリオに基づいていた。セミナー主宰者は、このようにメディアでの発言までもコントロールし、ToshIと世間とを断絶させるためにあらゆる手を尽くしたようだ。
洗脳からの解放
こうして長年の過酷な生活に耐えてきたToshIだが、あることがきっかけで洗脳から脱することとなる。そのきっかけのひとつが、「X JAPANを再結成すれば数億円を用意する」と助言した音楽関係者の甘言に、セミナー主宰者がコロッと寝返ったことだった。
さらにもう一つ大きなきっかけとなったのが、セミナー主宰者が元夫人と同居していたという事実だった。それだけにとどまらず、主宰者はセミナー本部で女性を集めたハーレムのような生活をしていたことも明るみに出た。悲惨な現実を前に、ToshIは洗脳生活から、ようやく目が覚めたのだという。
X JAPANの復活
その後、X JAPANへ再びコミットしはじめたToshI。
2009年1月に香港で開催されたアジア・ワールド・エキスポでの、初の海外公演『X JAPAN WOELD TOUR LIVE IN HONG KONG』では、これまでサポートとして参加していた「LUNA SEA」のギタリストSUGIZOが「6人目のメンバー」として正式加入。現在の体制に至った。
こうして悪徳な自己啓発セミナーから、無二のボーカルToshIを奪還したX JAPAN。長きに渡る洗脳事件や、メンバーの死など、苦難の歴史を経て、より一層の深みと輝きを増している。2015年11月6日にリリースされた「BORN TO BE FREE」は、こうした厚みのある歴史が凝縮された1曲となっている。
hideやTAIJIの魂を受け継ぎ、新しい歴史を刻んでいく彼らの活動に、今後も目が離せそうにない。
(ヤマグチユキコ)
画像はamazonより:「洗脳 地獄の12年からの生還」