
52話は、こんな話
炭坑労働者たちの気持ちをわかろうと、炭まみれになって働くあさ(波瑠)。と同時に、納屋頭ひとりひとりに会って根気づよく話を詰めていくと、夢を思い出したと心を開く者も現れた。こうしてはじまった加野屋直営の販売所は大盛況に。
炭坑の夢
前回51話の語り「まだ暗闇ではありますが、朝がやってきました。炭坑の朝は早いのです。」は単に時間的な朝ではなく、あさの置かれた状況もこめられていたのだなと思う、52話。
あさが体にむち打って真っ黒になりながら労働し、他者の話を聞くことで状況が変わっていく。
なんて立派な心がけ。欠点といえば、絵心のなさくらい。あさは、犬を猫と間違えてばっかりだ。
それはまあご愛嬌で、この絵が気になる。
「夢なんて金持ちが見るものだ」と51話で頑なに拒否していたサトシ(長塚圭史)に対して、昔抱いた夢を思い出す者も現れ、その夢は絵を描くことだった。地面に犬の絵を描く男
その前に、五代があさを表すものとして「ファースト・ペンギン」の絵を描いていて(五代は絵がうまいなあ!)、絵と絵でつなげる52話だなあと思いつつ、あさがなんともいえない優しい顔で見つめている犬の絵が妙に印象的。犬といえば安産のお守り・犬張子を思い出す。あさはひそかに子供を欲しいと願っている。
では、五代が描いたファースト・ペンギンは何を表しているのか。それについては、今後のお楽しみになっているのがうまい。
五代の夢は、あさとしか思えない。
東京で大蔵卿になってくれと大久保利通(柏原収史)に請われても、五代は大阪にこだわっている。それがひとりの女のせいだとは、ふつうなら呆れられるよなと思うが、このドラマでは、女が男の人生を変えることもあるという革命的な出来事としてきわめて重要な部分なのだ。
母親たちの夢
「青物には不思議な力がある」とははつ(宮崎あおい/さきの大は立)の言葉。菊(萬田久子)とよの(風吹ジュン)はきゅうりをかじって本音を語りだす。
息子のことを思うところで、ふたりともきゅうりをポキ。よのが、いろいろなきゅうりの中から一本小さいのを選ぶのを見ても、やっぱり、折れたきゅうりが男の弱さの暗喩にも見えるんだよなあ。
それはともかく、ふつうに考えると、現在ひじょうに貧しい菊のほうが明らかに立場悪く思えるが、菊はふたりめの子供が生まれると誇らしそう。
菊は、再び、惣兵衛(柄本佑)がどこかに行ってしまい、落胆するはつに、もう戻ってこないかもと意地悪を言いながらも「(お腹の中の子供に)あんたの声全部聞こえてますのやで」と励ましてもいる。はつにもそれがちゃんとわかって「おかあさんおおきに」と礼を言う。
単なる嫁いびりではなく、強くあるように鍛え合っている関係なのだなあ。
菊があさよりはつを嫁に選んだのは、惣兵衛も指摘していたはつのポテンシャルである「誇り高さ」に共鳴したのだろう。はつに比べてあさは、やりたいことのためにプライドを捨てられるタイプだ。
菊は、プライドをもって強く生きて行こうとする気持ちが行き過ぎてしまった残念な例。はつにはそこは見倣わないでほしい。
最初の決まりとは逆の家に嫁いだあさとはつだが、ここへ来て、あさに子供ができないばかりか、家を空けてばかりいることを寂しく思っている新次郎が、はつと再会。
「びっくりぽんや」とあさの口癖を使うはつをあさと間違える新次郎に「新次郎とはつ、久しぶりの体面でした」と意味深な語りで、視聴者の興味を引っ張っていく。
(木俣冬)
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