ところで、格闘技の歴史を作ってきた一人である前田日明は、引退間際にヒクソン・グレイシーと対戦交渉をしていた。
きっかけは「高田vsヒクソン戦」
前田がヒクソン戦に名乗りを上げたきっかけは「高田vsヒクソン戦」。
高田はヒクソンに惨敗をしてしまう。翌日マスコミにコメントを求められた前田は「高田の調子が悪かった。コンディションが悪いから負けた。普通にやれば高田が勝っていた」と高田を全面的に擁護する発言をしたが、高田と前田の師であるアントニオ猪木は「よりによって一番弱い奴が出ていった」とコメントを残す。
それを聞いた前田は猪木に対して「高田は猪木さんの弟子だった人間。弟子に対して一番弱い奴とはなんだ!」と激怒。
前田は怒りに任せて「次はオレが行く」と言い、ヒクソンとの対戦を目指すことを表明したのだ。
前田日明がヒクソン・グレイシーを評価しなかった理由
前田は高田vsヒクソン戦について、一貫して高田の勝利を予想。ヒクソンを全く評価していなかった。
評価をしなかった最大の理由は、高田戦の前に行われた、ヒクソンと前田の愛弟子である山本宜久との対戦にある。ヒクソンと山本の試合はヒクソンが勝利をしたものの、山本もヒクソンを追い込んでいた。その時にヒクソン対策を伝授したのが前田であり、自ら授けた策が途中までヒクソンにハマったことが低評価の理由だった。
前田日明の交渉は難航
前田は自ら持つネットワークを使い、ヒクソン側と接触する事に成功。ヒクソン側と対戦に向けた交渉を始めたことを明らかに。
前田は「接触できればこちらの条件はリングスのリングで試合をすることのみ。後は向こうの言い分を全て飲む」とし、対戦に向けた自らの条件も明らかにした。
しかし交渉は予想以上に難航を極める。一番難航したのが前田側唯一の要求であった「リングスのリングで試合をすること」だった。
ヒクソン側は第三者のリングで試合をすることを要求するも、前田側は第三者のリングで試合をすることを拒否。あくまでリングスでの試合にこだわった。
交渉は困難を極め、近い将来の引退を明らかにしていた前田は、これ以上交渉に時間をとられるわけにはいかないとして打ち切り。結果的に前田vsヒクソン戦は幻のものに。
交渉決裂後の両者
交渉を打ち切ったと前田がマスコミ公表してまもなく、高田vsヒクソン戦の再戦が発表された。ヒクソン側は、前田との対戦の交渉と同時に高田との再戦の交渉も行っていたのだ。
前田はその後、引退試合に「人類最強の男」ことアレキサンダー・カレリンとの対戦を発表。
引退後の前田は自らの団体リングスを解散し、現在「OUTSIDER」というアマチュア総合格闘技のイベントを主催しアマチュアの育成に務めてる。
対するヒクソン・グレイシーも引退後、自らの道場でグレイシー柔術を教えている。今年の大晦日に開催の「RIZEN」で息子のクロン・グレイシーが山本アーセンとの対戦が決まり、久々に来日をする。
現役時代は交わらなかった両者であるが、指導者として育てた選手がリングで対峙することはあるのだろうか。
(篁五郎)