厳密には名前ではなく、番組名。
1993年4月にフジテレビ系でスタート。日曜夜10時半からの30分番組だった。
恵俊彰も太っていた時代があった!?
さまぁ~ずと改名するのは2000年。この頃はまだバカルディだった時代だ。コンビ名の由来はラム酒メーカーから拝借、「馬鹿」とのWミーニングになっている。
恵は今よりも太っていて、石塚は今よりも痩せていた。「大デブ小デブでホンジャマカ」、そんなキャッチフレーズがあったなんて、今の恵の姿からは想像できないはずだ。
この二組は番組で共演する機会も多く、関東の若手芸人の出世頭として期待されていた。90年代前半は相撲ブーム。人気兄弟力士の若花田・貴花田(当時)に掛けて「お笑い界の若・貴」と呼ばれていたりもしたほどだ。
ダウンタウン、ウッチャンナンチャンに次ぐ若手コンビは彼らしかいない!そんな期待を込めての大抜擢で『大石恵三』は始まっている。
『大石恵三』の行く手を阻む人気番組とは?
裏番組は日本テレビ系『進め!電波少年』、TBS系『たけし・所のドラキュラが狙ってる』と超強力布陣。
『電波少年』が「猿岩石のユーラシア大陸横断ヒッチハイク」で社会現象となるほどの人気になるのは1996年。この頃は「アポなしロケ」を売りに、松村邦洋や松本明子が体当たりで無茶な企画にチャレンジするのがメイン。しかし、何が起こるか分からないハプニング性で人気は上々。企画力で勝負するバラエティ番組だった。
『たけし・所のドラキュラが狙ってる』は、大物2人がW司会を務めるトークバラエティ番組。ゲストがウソ発見器を付けた状態で際どい質問に応える「ドラキュラ裁判」という名物コーナーが人気を集めていた。
『夢で逢えたら』に続けとばかりに始まったが……
『大石恵三』はフジテレビ系とあって、80年代末にダウンタウン、ウッチャンナンチャンが一躍全国区の人気者になったバラエティ番組『夢で逢えたら』を重ね合わせて観ていた視聴者も多かった。
コントがメインの構成もそれを感じるに十分であったが、肝心の内容は……正直、面白かったとは言い難い。
大竹のシュールな笑いは今に通じるものがあったが、内容的には目新しさもキャラクターの強さもあまり感じられない状態。なぜか菊池桃子がレギュラーだった印象の方が強い。
ただでさえ裏番組が強力な上に、番組自体がつまらないんだから早期打ち切りは当然。
『大石恵三』の失敗について、大竹は「完全な力不足だった」と振り返っている。確かにその通りだろう。今の4人の活躍ぶりを見ると、抜擢の時期が早すぎたとしか思えない。
現在のさまぁ~ずは、地上波全局(NHK、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京)にレギュラーを持つ快挙を成し遂げるなど、八面六臂の大活躍。ホンジャマカも恵は司会業、石塚はグルメリポーターを中心にそれぞれ確固たる地位を築いている超売れっ子だ。
この4人が再結集して『大石恵三』が復活となれば、かなりの話題となるのは間違いない。コケまくりのフジテレビが起死回生策として手を出す日はあるのだろうか?
ただ、爆笑問題の太田に「つまらないの代名詞」とまで評される恵の立ち位置が余計ながら心配ではある……。
(バーグマン田形)