今年に入ってからというもの、SMAP解散か? と世間は大騒ぎになった。結局、解散の話は流れ、『SMAP×SMAP』でメンバー全員による謝罪が行われたのだが、これがまたもや騒動に。

いつも5人の真ん中に立ち、仕切り役である中居正広が端に追いやられ、木村拓哉がなぜか中心で仕切るという展開。さらにはジャニーズ事務所に残ると唯一宣言したとされる木村のみが白いネクタイで、独立を目指した残りのメンバー4人は黒いネクタイであった。
この会見では、クーデターに失敗した4人と独立を阻止した"英雄"という構図がはっきり見えたようにも感じた。

さて、政治の世界でも同じようにクーデターを起こそうとしたが、未然に防がれてグダグダに終わってしまったケースがある。
それは2000年11月、森内閣打倒を目指して自由民主党の加藤紘一・山崎拓などが起こした一連の倒閣運動であり、「加藤の乱」と呼ばれている。

【「加藤の乱」を起こした理由】


加藤紘一と山崎拓は総裁候補として順調な道を歩んでいた。しかし、1999年に自民党総裁選挙に出馬したことで小渕恵三の怒りを買って、徹底的に干されてしまう。

その後、小渕は首相在任中に死去。不透明な形によって、森喜朗が総理に就任したのだった。

小渕の次は間違いなく総理になるのではと目されていた加藤。森が先に総理に就任したことで大きく焦った。
しかし当時の森内閣は、森自身の不適切発言などでかなりの低支持率。そんな折に野党が提出した内閣不信任案に賛成することで、森内閣を倒そうとしたのが「加藤の乱」だ。


【まるでメリー? 野中広務による切り崩し】


加藤派と山崎派の全議員が不信任案に賛成すれば、案は可決されて、森内閣の倒幕は晴れて実現することになる。
しかし、そう上手くいかないのが政治(芸能界も?)の世界。当時の自民党幹事長だった野中広務を中心とする執行部が、除名などを交渉材料にして脅すことで、徹底的に切り崩し工作をしたのだった。

この苛烈な切り崩し工作によって、初めは加藤らに同調していた議員も反対に回ってしまう。
さらには、加藤や山崎と共にYKKと呼ばれるほどの関係だった小泉純一郎や側近中の側近だった古賀誠も反対を表明したことで、加藤のクーデターの失敗は決定的となった。
仲間だと思っていた人物の裏切りが計画失敗の決定打となるのは、どの世界でも同じようである……。

【「加藤の乱」の名シーン 谷垣禎一の涙】


この「加藤の乱」を語る上で外せない名シーンがある。加藤派の議員が切り崩されたことで敗北を確信した加藤らが総会を開き、その後の対応を協議していた。

その会で加藤と山崎は、単独で不信任票を出すと語る。これは自分達が除名になっても、部下の議員は処分されないための配慮から。

しかし、投票に向かおうとする加藤の肩を谷垣禎一がつかみ「加藤先生は大将なんだから!独りで突撃なんてダメですよ! 加藤先生が動く時は俺たちだってついていくんだから!」と涙ながらに説得。
この発言によって、最終的に投票をせずに全員で欠席することを決めたのだった。

【クーデター失敗後の加藤紘一 悲惨な末路】


加藤は総理にもっとも近いと当時言われており、森の支持率が下がっていくのを待っていれば、次期総理になったとの見方が強い。つまり小泉内閣も誕生しなかったわけだ。

しかし、辛抱強く待てずにクーデターを起こした結果、失敗に終わり、国民からも大きな批判を受けることになる。
その後の加藤は秘書逮捕などによって、議員辞職まで追い込まれ、完全に議員としての力は完全に失ったのだった。

さて、共にクーデターを目指した山崎は「ネットでの人気に加藤さんは酔ったんだろう」と新聞のインタビューで語っている。それほどネットでは加藤に賛成する意見が多く、それを過信してしまったというわけだ。
しかし結果は失敗。ネットでの意見と実際の結果が違う、という点も「加藤の乱」がSMAP解散騒動の顛末によく似ているように感じる。