佐々木健介・北斗晶夫妻といえば、芸能界屈指のおしどり夫婦として有名だ。現在闘病中の北斗を献身的に支える健介。
その仲睦まじさは、理想のカップルとして常にアンケートの上位を占めるほど。

では、この二人はどうして出会ったのだろうか?
ともにプロレスラーだった健介、北斗ではあるが、その接点は世界的規模のイベントにあった。実は、北朝鮮で開催された初のプロレスイベントでの共演がきっかけなのである。

エースの座まで後一歩の佐々木健介、女子プロレス界の中心にいた北斗晶


1995年4月28日、29日の2日間に渡って、北朝鮮の平壌で「平和のための平壌国際スポーツ・文化祭典」と題するイベントが開催された。牽引役は、当時参議院議員とプロレスラーの二足のわらじを履いていたアントニオ猪木だ。
「日本プロレス界の父」と称される力道山を師匠に持つ猪木。その力道山が朝鮮半島出身であったことなどから、持ち前の「闘魂外交」により、北朝鮮で初のプロレスイベント実現にこぎつけたのだ。

猪木は自身の団体である新日本プロレスの選手とともに参加。その中に佐々木健介も含まれている。当時の健介はトップ選手ではあったが、まだシングル王座未戴冠ということもあり4番手5番手の位置づけだった。
また花を添える意味で、全日本女子プロレスから4名の選手が派遣されたが、中でもナンバーワンの注目株が北斗晶。当時の北斗は「デンジャラス・クイーン」の異名を取り、ケンカファイトと毒舌パフォーマンスで女子プロレス界の中心レスラーとなっていた。

すべてのスケールがデカい!空前絶後の北朝鮮プロレス


ミステリアスにしてデンジャラス、ただでさえ入国困難な北朝鮮で開催される前代未聞のプロレスイベント。日本からのツアー客、報道陣は総勢5,000人にも上ったが、さらに驚くべきはその観衆。
なんと、両日ともに19万人という途方もない数が集まったのだ。
初日の試合の模様は朝鮮中央テレビジョンが開幕式から試合終了までを3チャンネルに渡って生放送し、その視聴率(占拠率)は100%近くと、これまた前人未到の記録を達成。
ついでに新日本プロレスが背負った負債も8,000万円と、良くも悪くもスケールがケタ違いのイベントだったのだ。

佐々木健介・北斗晶 出会いから1ヶ月あまりの超スピード入籍


健介はともに参加していた北斗に一目惚れし、帰国後に結婚を申し込む。北斗もこれを快諾し、6月4日に入籍となった。出会いからわずか1ヶ月あまりの超スピード入籍である。
この2人の顔合わせは、コアなプロレスファンにも想像ができなかった事態。さらに、後に夫婦二人三脚で芸能界に進出するなんて、この時点では誰一人として思わなかったに違いない。

同年10月1日には、東京の新高輪プリンスホテルで佐々木健介・北斗晶の結婚披露宴が開催された。招待客は600名という盛大な披露宴だ。まだ芸能活動前ではあったが、プロレスファンの勝俣州和や声優のTARAKOら芸能人も参加し2人の門出を祝福。同じくプロレスファンのとんねるずからは花輪が届いている。

ちなみに北斗が「次に続いて」とブーケを手渡したのは、当時世間を騒がせていた羽賀研二&梅宮アンナのカップルだった。……残念ながら、「次に続かなかった」のはご存知の通りである。

北斗は式前日もいつも通りの全力ファイトで見事勝利を飾っている。試合では強烈なイス攻撃を食らったが、幸い流血沙汰にはならず。
しかし、むしろ北斗的には「血塗られた花嫁」という新聞記事を期待していたと言うのだから、終始涙にくれていた健介に比べて、北斗の方がプロレスラーとして一枚も二枚も上手なのは言うまでもない。
気丈で気骨な北斗晶、現在闘っている病にだって絶対勝つに決まっているのである。
(バーグマン田形)
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