そんな老舗の両団体は長らく対立関係にあったが、2000年から交流戦を行っていたことがあった。
きっかけは全日本プロレスの分裂
全日本プロレスは社長だったジャイアント馬場の死去後、三沢光晴が2000年にノアを旗揚げしたことで、ほとんどの所属レスラーが離脱してしまった。残った選手は川田利明、渕正信、太陽ケアと当時参議院議員で不定期参戦だった馳浩(現・文部科学大臣)の4名のみ。
この窮地に全日本プロレスは起死回生策として、新日本プロレスとの対抗戦に打って出たのだ。
蝶野正洋の発言で対抗戦モードに
新日本プロレスと全日本プロレスの対抗戦は当初、苦境の全日本を救おうという交流戦という意味合いが強かった。しかし、蝶野正洋が全日本プロレスの会場で「マスでもかいてろ!」と発言したことなどで対抗戦ムードに。
以降、全日本の川田利明と佐々木健介(当時は新日本に所属)が新王者をかけて対決したり、新日本に所属していた武藤敬司も全日本との対抗戦に参戦したりと盛り上げに一役買った。
消滅に終わった新日と全日の対抗戦
その武藤は2002年、新日本プロレスの路線に疑問を感じて全日本プロレスへ移籍。これに激怒した新日本は全日本との対抗戦を一時凍結した。一旦は交流が復活したものの、全日本のオーナーが変わった後は完全に消滅している。
新日本と全日本の対抗戦は紆余曲折こそあったが、選手同士で「プロレス冬の時代」を乗り切ろうという気概があったのではないかと感じる。
(篁五郎)
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