あれから21年。
きっかけは山崎一夫の引き抜き
新日本プロレスとUWFインターは元々、同じ新日本にいた選手同士の団体。しかしUWFインターは新日本プロレスに対して、挑発的な行動を繰り返したために緊張状態だった。
緊張関係にあった緊張が頂点に達したのが山崎一夫のUWFインター離脱、新日本参戦である。この件で両団体のトップである長州力と高田延彦が電話会談を行い、両団体の対抗戦が東京ドームで開催されることが決まった。
劇的な流れで決まった対抗戦にプロレスファンは熱狂。平日開催にも関わらず、東京ドーム大会のチケットは完売した。67,000人もの観客を集め、プロレス興行は普段は使われない外野席までも開放するほどだった。
対抗戦で生まれたスター選手
団体対抗戦の勝敗は5勝3敗で新日本の勝利に。特にメインイベントで高田延彦が武藤敬司に敗れたため、数字以上にUWFインター完敗のイメージが付いた。
しかし、この対抗戦での活躍によってUWFインターのある選手がブレークした。その選手とは桜庭和志。それまで地味な印象が強かったが、対抗戦での試合内容が注目を浴び、その後「PRIDE」などでも大活躍した。
名言・迷言も出た対抗戦
相当の緊張感のある試合をした後は、レスラーが名言や迷言残すことが多い。この対抗戦でもレスラーから数多くの名言・迷言が生まれた。
長州力のモノマネでお馴染みの「キレてないですよ」はこの対抗戦で生まれたし、佐々木健介の「ヴァー!ポカやった!」もプロレスファンの間では定番のネタとして扱われている。
対抗戦の裏事情
あの対抗戦から20年も経つと、当時の関係者から裏事情が色々と出てくる。
対抗戦が終わった後に、両団体のフロントが仲良くゴルフに行ったり、UWFインター側に支払われるお金がチケットの売り上げが良くて5000万から8000万に上がったりなどが明らかにされている。
しかしその後、UWFインターは対抗戦での負けのイメージを払拭できず、興行は不振を極め倒産。新日本プロレスも経営難となり、現在はブシロードの小会社になっている。
結果的には、対抗戦が「禁断の果実」だというプロレス界の言い伝えを証明した形になったが、当時の熱狂が本物であったことは紛れも無い事実だ。
(篁五郎)
燃えろ!新日本プロレス 10号