
128話はこんな話
大阪では、あさ(波瑠)と千代(小芝風花)の仲は相変わらずぎくしゃく。
和歌山では、はつ(宮崎あおい/大は立)と菊(萬田久子)が心を通わせて・・・。
なでなでが、大阪と和歌山をつなぐ
実母と娘、義母(姑)と嫁と関係は様々とはいえ、22週は、母と子の週のようだ。
千代がはじめて相談ごとをしてくれると喜んだのもつかの間、それは宜ちゃん(吉岡里帆)のことで、ちょっと拍子抜けするあさ。
さらには、千代が勉強や仕事に興味が出て来たと思い込み(恋心を隠しているとはつゆ知らず)、勝手に卒業後の青写真を思い描き、千代にぶち切れられてしまう。
“心の奥底では自分が一番正しいと思って、人に自分の考えを押し付ける”と言う千代の指摘は、刃物よりもあさを深くえぐりそう。
でも、あさには新次郎(玉木宏)がいる。
美味しいお茶を煎れてくれたり、背中をなでなでしてくれたり。
これで、仕事の疲れも、娘との確執疲れも、吹っ飛んでしまうのだ。うらやましい。
このなでなでの巧さを受け継いだのは、千代。
よの(風吹ジュン)をなでなで。刺されて瀕死のあさのことも病院でなでなでしていた。
よのは腰が悪いようだが、目下、腰の骨を折って苦しんでいるのは、和歌山の菊。
こちらでは、はつが菊の腰をなでなで。
突如、腰の骨を折ってしまった菊は、起き上がれず、すっかり覇気がない。
菊が鬼の姑として大活躍した18回──蔵にはつを閉じ込めた思い出話を皮切りに、老舗の豪商の娘として生まれ育った苦労話や、惣平衛(柄本佑)がなぜ最初の頃、能面みたいだったのかなどの謎をつまびらかにする。
弱った菊が本音を漏らすことで、あの頃から今に至るまでの長く続いた嫁姑の確執が溶解していき、はつは菊に、惣平衛といういい旦那を生み育ててくれたこと、おかげでいまの生活があること感謝する。
こう書くと、大層いい話のように思えるが、それだけで終わらせないのは「あさが来た」の面白いところ。
菊は、はつの丁寧な物言いに、どこか「嫌味」を感じる。
鋭い。確かに「どないに立派な西洋ふうの家よりも」なんて、やっぱりどこか棘がある。
そう思うと、このふたりのやりとりは、単なるいい話ではない気もしないでない。
はつはほんとうに菊に感謝しているのだろうか。
はつは、菊がもはや戦うに足る相手ではないので、優しくなっただけなのではないか。
誇り高い人間は、情けをかけられることが一番嫌いだ。はつは過去の言動から確実にそうであることはわかるし、菊もそうではるはず。
ついに菊ははつに情けをかけられて、嫁姑戦争に負けたのだ、と思うと、なんだかおそろしい。
ふたりの和解をいい話に捉えたかった人、こんなふうに解釈して、すみません。
でも、たぶん、嫁姑の関係って、単純に赦し合えるものではないような気がするのだ。
そして、演じているのが、宮崎あおいと萬田久子っていうのも大きい。なんだか業が深そうなのだもの。
もうひとり、面白いのは、新次郎。
「千代はまださなぎの時期だす」とあたたかく見守ろうとするが、自分はあさが15歳のときに結婚しているのに! 11歳のときに、出会って、プレゼントや手紙攻撃しているのに!
(木俣冬)
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