将棋の世界において、7冠独占という前人未到の偉業を達成し、将棋界で絶対的地位を得た羽生善治。
▲飛車を運転したことがある
▲ビート板ではなく将棋盤で泳いでいた
▲苦手な事を聞かれ「将棋かな」と回答
▲目が合っただけで将棋が上手くなる
▲王とイチローを足して割らないくらい強い
など、羽生名人に関する(都市)伝説は数多く存在しており、ネット上でも何かと愛されている。
彼の対局では、時に解説者も発狂するような大逆転「羽生マジック」も飛び出し人々を惹きつける。今回はそんな羽生善治の伝説的な対局を振り返るとともに、その強さや人気の理由にも迫っていく。また羽生名人が生んだ名言についてもおさえておこう。

全盛期の羽生名人について


決して将棋に詳しくない人でも、羽生善治という名前は知っているはず。特に、彼が活躍した全盛期とも言える1990年代を過ごしてきた世代にとっては、彼の存在が強烈に印象に残っている人も多いのでは。まずは、その頃の彼の活躍について振り返ってみよう。

中学生にして将棋界デビューを果たし、すぐに活躍した羽生。瞬く間に成長を遂げ、1988年度には史上最年少の18歳で最優秀棋士賞を受賞した。若くして才能を早くも開花させた羽生名人。彼の才能が結実した一つの大きなできごとが全盛期における7冠達成である。

1996年、羽生は無類の強さを見せつけ、将棋の世界の主要タイトルを全て独占! 実は、前年もそこに辿りつくリーチの段階までは来ていたが、実績のある谷川にギリギリのところで負け、総なめとまでは行かなかった。96年の7冠達成は、前年の悔しさを晴らし、見事にリベンジに成功したという意味でも、感慨深い出来事となり人々の記憶に残った。

羽生名人の強さの理由


次に、彼の強さの秘けつについて迫って行こう。

羽生名人が自ら口にしていたことだが、将棋の世界では常に十の力を出し続けることがベストな結果を生むわけではなく、相手の力量に合わせて二の力や三の力に合わせて勝負に出ないといけない場合もある。
すなわち、対戦相手についてその力量を判断し、駆け引きしながら対局をしていく必要があったのだという。
羽生名人はその洞察力が誰よりも優れており、冷静な分析ができていたのが、勝利につながる秘けつだと言える。

また、何があっても動じない心の強さにも理由がある。
7冠をギリギリで逃した際も、スランプに陥りそうなところを、強靭な精神力と優れた自己管理能力によって、切り抜けた。彼は、第一線で活躍することによるプレッシャーをはねのける確固とした自分像を持っている。また、それは対局相手側から見ても、同じことが言え、「羽生善治」という名前や「羽生マジック」という呼称が相手に及ぼす影響も絶大で、いわゆる名前勝ちのような状態になっていた。

羽生名人による名言


最後に、羽生名人が残した名言を紹介する。

「私は才能は一瞬のひらめきだと思っていた。しかし今は10年とか20年30年を同じ姿勢で同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている」この言葉には、彼がずっと第一線で活躍し続けてきた自負が感じられる。マスコミなどは特にその一瞬の輝きだけを取り上げがちだが、ずっと続く努力の結晶によって、今があることを羽生名人は伝えたかったのだろう。
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