2018年9月29日に、JRA通算4000勝を達成した天才ジョッキー・武豊。歴代2位の岡部幸雄が2943勝であることを考えると、その記録はあらためて驚愕のひとことだ。
騎手としての腕だけでなく、端正なルックスと巧みなトークで長らく日本競馬界のシンボルとして活躍してきた武は、一般層の知名度も他の騎手とは段違い。競馬界に“ポスト武豊”を求める声が叫ばれて久しいが、現在のところその存在感に比肩する騎手は現れていない。

1969年生まれの武が20代を過ごした90年代は、日本競馬史上もっとも華やかな季節だったと言えるかもしれない。オグリキャップの登場を境に競馬人気は上昇を続け、1997年にはJRAの年間売上が4兆円を突破。2017年の売上が2兆7476億6248万4800円であることを考えると、4兆という数字がいかにとんでもない額か理解できるだろう。

オグリキャップの引退レースで時代の寵児に



競馬ブームの火付け役になったオグリキャップだが、彼の現役最後のレースの鞍上も武豊だった。1990年12月23日。寒空の中山競馬場で行われた第35回有馬記念で、18万人近い大観衆は奇跡を目の当たりにする。

1990年の秋から冬にかけて、増沢末夫が騎乗したオグリキャップは天皇賞(秋)で6着、ジャパンカップで11着と、大きく調子を崩していた。それまで一度も掲示板(5着以内)を外したことのない馬が惨敗を続けたことで、ファンやマスコミの間には「オグリは終わった」という定説が広まっていく。果てはJRA宛に「これ以上恥を晒さずに引退しろ」という脅迫状まで寄せられる始末で、引退レースの有馬記念でも4番人気。温情で記念馬券を買ったファンも多く、実際の評価はさらに低かったとも言われている。

そんな状況で手綱を任されることになった21歳の武は、スローペースを見極めた見事なレース運びでオグリキャップを劇的な復活勝利に導く。
熱狂した観衆の「オグリコール」を浴びながらのウイニングランは、「武豊の時代」の到来を象徴するエポックなワンシーンとなった。

98年、スペシャルウィークで念願のダービー制覇


その後、武は1992年から2000年までリーディングジョッキー(最多勝)を独占。天皇賞(春)を連覇したメジロマックイーン、オークス馬にしてダービー馬の母でもあるベガ、ダンスパートナーとダンスインザダークの姉弟、強豪馬たちと名勝負を繰り広げたマーベラスサンデー、牝馬として17年ぶりに天皇賞を制したエアグルーヴと、数々の名馬に跨ってビッグタイトルを獲得してきた。しかしそんな武でも、競馬界の最高峰・日本ダービーだけはなかなか勝つことができなかった。1997年の11月に、1頭の精悍なサラブレッドと出会うまでは。

スペシャルウィークと名付けられたその牡馬は、生後5日で実母と死別し、農耕馬と人間の手によって育てられた黒鹿毛のサンデーサイレンス産駒だった。スラリと長い脚に、眉間に走る美しい流星。見た目だけでなく乗り味も素晴らしく、心肺機能も抜群。デビュー前に初めて調教に跨った武は、その時点ですでに翌年のダービーを意識していたそうだ。

新馬戦を快勝して迎えた1998年。きさらぎ賞、弥生賞と重賞を連勝して1番人気に支持された皐月賞では、前を行くセイウンスカイとキングヘイローを捉えられずに3着に敗れる。しかし続くダービーで、スペシャルウィークは圧巻の競馬を見せつける。馬場の中央を堂々と突き抜けて、5馬身差の圧勝。
冷静沈着な騎乗ぶりで知られる武だが、このときばかりは最後の直線で鞭を落としてしまうほど興奮していたという。

その後、スペシャルウィークは武を鞍上に1999年の天皇賞(春)、天皇賞(秋)、ジャパンカップを制してGIを計4勝。その素晴らしい成績以上に、弥生賞から翌年の天皇賞(秋)にかけてのセイウンスカイとの6番勝負(4勝2敗)、宝塚記念と有馬記念でのグラスワンダーとの対決、日本の総大将として凱旋門賞馬・モンジューを迎え討ったジャパンカップなど、個性的なライバルたちとの好勝負が競馬ファンを熱くさせた。

サイレンススズカの悲劇


武を鞍上にGIで勝利したわけではないにも関わらず、「武豊のお手馬」としてファンの記憶に強烈に焼き付いている稀代の逃げ馬がいる。武がダービージョッキーになった1998年、大逃げを武器に一世を風靡したサイレンススズカだ。

2月のオープン特別から10月の毎日王冠まで怒涛の6連勝。とりわけ、GII競争にも関わらず13万人という大観衆が東京競馬場に詰めかけた毎日王冠は圧巻だった。5戦5勝のエルコンドルパサーと4戦4勝のグラスワンダーという2頭の怪物を相手に、サイレンススズカは影をも踏ませぬ圧逃劇を披露。最後は手綱を緩めながらエルコンドルパサーに2馬身半差をつけ、その飛び抜けたスピード能力を見せつけた。

そして迎えた11月1日の天皇賞(秋)。1枠1番から好スタートを切ったサイレンススズカは、「オーバーペースで逃げますよ」という武の予告通り、前半から驚異的なラップを刻んでいく。1000メートルの通過タイムは57.4秒(平均は60秒程度)。2番手のサイレントハンターまで、およそ10馬身。
誰もが圧勝を信じて疑わなかった。テレビで競馬中継を見ていた筆者も、「とんでもないレコードタイムが出る」と思った。

悲劇が起きたのは第3コーナー。サイレンススズカが突如バランスを崩し、失速する。どよめきと悲鳴に包まれる東京競馬場。最後の直線に入ることなく競走を中止したサイレンススズカに下された診断は、左前脚手根骨粉砕骨折。予後不良(安楽死処分)だった。

レース後の武の落ち込みようは半端ではなく、その晩には「生まれて初めて泥酔した」と後に告白している。サイレンススズカの死後、同年のジャパンカップをエルコンドルパサーが、有馬記念をグラスワンダーが制したことで、1998年の毎日王冠は今なお語り継がれる伝説のレースとなった。


武豊はどの馬を選ぶ?


武自身によるサイレンススズカへの評価として「もっともレースに勝ちやすい馬」「理想のサラブレッド」といった言葉が広く知られている。前半から爆発的なスピードで大逃げを打ち、直線に入ってもバテることなく後続を完封する……。サイレンススズカのレースぶりには、有無を言わせない圧倒的な説得力があった。


2000年代以降もディープインパクトやウオッカ、キタサンブラックなど数々の名馬に騎乗してきた武豊。それでも、もし「芝の中距離レースで最強の1頭」について問われたら、やはり武はサイレンススズカを選ぶのではないだろうか。90年代後半、あの華やかな時代の日本競馬に魅せられた人間のひとりとして、そんな願望を抱かずにはいられない。

(曹宇鉉/HEW)
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