とはいえ、おっさんな筆者は、"リクルート"と聞くと歴史に残る政治スキャンダル「リクルート事件」を思い出してしまう。
リクルート事件の概要
1988年6月、後に戦後最大の政治スキャンダルと称されることとなるある事件が明るみになる。リクルート社が川崎駅前開発を巡り、川崎市の助役に便宜を図る目的で子会社であったリクルートコスモス社の未公開株を譲渡。これを、朝日新聞がスクープした。その後、マスコミ他社が追随し、当時政権を握っていた自民党の中曽根前首相をはじめ、竹下首相、宮澤副総理ら90人にのぼる政治家がコスモス株を譲渡されていたことが発覚。当時、消費税の導入を巡り国会では連日野党が攻勢をかけていたが、リクルート事件が明るみに出たことで野党の追及は勢いを増した。
後味が悪かった事件の幕引き
この報道を受けて、1989年に東京地検が本格的に捜査に乗り出した。この捜査で、当時リクルート社会長の江副氏が政界、文部省、労働省、NTT、4つのルートを通じてコスモス株を流していたことを突き止める。贈賄側のリクルート社側は江副氏をはじめ12人の逮捕者を出した。
一方で、収賄側は文部省で1人、労働省からは2人、NTTでは会長とその秘書ら4人の逮捕者が出たものの、政界からは藤波孝生元官房長官、池田克也元衆議院議員が在宅起訴にとどまるのみで事件は幕引きとなった。竹下現首相、中曽根前首相ら、自民党幹部をはじめとする90人もの国会議員が利益供与を受けていたことが疑惑にさらされていたにもかかわらず……
さらに、竹下内閣総辞職と時を同じくして竹下氏の秘書青木氏が自殺したことも、少なからず不可解なできごととして記憶している人もいるだろう。
政治改革のきっかけに
疑惑の目が向けられている大物政治家たちは誰ひとりとして立件されることはなく、事件の真相が十分に暴かれたとはいえないこの事件。当然、当時の国民は政治不信に陥った。事件発覚から1年で竹下内閣が総辞職したあと、次の宇野首相が女性スキャンダルにより短命で辞職。
リクルート事件は政治のあり方に一石を投じることとなった。1990年前半には「政治改革」が盛んに唱えられ、公職選挙法の改正や政党助成金制度、閣僚の資産公開範囲の拡大が図られた。なお、竹下内閣総辞職語の第15回参議院議員通常選挙ではリクルート事件の影響が尾を引き、自民党の結党以降初めて参議院の議席の過半数を割ることとなる。この事件は政治改革だけでなく、参議院での連立与党を生み出すきっかけにもなったのだ。
贈賄側の筆頭であった江副氏は2013年に亡くなった。全貌が明らかにされぬまま闇に葬られたリクルート事件。疑惑の目が向けられた政治家たちは今なお政権の鍵を握っているというのは、当時を知る人たちにとってなんとも複雑な思いが残る……。