いや、ええもん見せてもろた。
昨晩、NHKの木曜時代劇「ちかえもん」の最終回を見終えて、しみじみそう思った。


前回(第7回)からの続きで、徳兵衛(小池徹平)とお初(早見あかり)がこの世で結ばれない宿命を悔やんで曾根崎の天神の森で心中を遂げる。
主人公の近松門左衛門(松尾スズキ)は、思いがけない結末に衝撃を受けながらも、やがて寝食忘れて、ふたりを主人公に新作浄瑠璃の執筆に没頭する。こうしてついに『曾根崎心中』が完成、元禄16年(1703)5月7日(この日付は史実どおり)、道頓堀の竹本座で初演されるにいたった。
気づけば、その執筆中、これまで近松にしつこくつきまとっていた万吉(青木崇高)はぴたりと姿を見せなくなっていた。まるで、そんな男などもともといなかったかのように。
「ちかえもん」最終回に何度も意表を突かれた、ええもん見せてもろた
現代美術家の杉本博司は2011年、人形浄瑠璃『曾根崎心中』を近松門左衛門の原作により忠実に再現した。「この世の名残 夜も名残~杉本博司が挑む『曾根崎心中』オリジナル~」はその過程を追ったNHKのドキュメンタリー。そのDVDには特典映像として、公演の模様もダイジェストで収録されている

ここからは意表を突かれることの連続だった。

まず意表を突かれたのは、店を取り潰されて大坂から去ったはずの黒田屋九平次(山崎銀之丞)が近松の前に現れたこと。黒田屋は『曾根崎心中』初演当日の朝、近松をかどわかし遊郭・天満屋に連れ込んだのだ。
ちょうど主人(佐川満男)も女将(高岡早紀)も遊女のお袖(優香)とともに竹本座に出かけて留守だった。黒田屋はそれをいいことに天満屋を占拠、いつのまに読んだのか『曾根崎心中』での自分の扱いが気に入らないと近松に刀を突きつける。いままでの近松なら怖気づくところだが、ここは作家として意地を見せ、死んだ徳兵衛とお初の思いを浄瑠璃で伝えたかったのだと反論する。

ピンチに陥った近松を救いに現れたのが、誰あろう万吉だった。
あとは自分にまかせろと近松を外へ逃がすと、彼はひとり黒田屋に立ち向かう。

竹本座へやっとたどり着いた近松は、終演ののち観客が感涙するさまを見てひと安心。さらに越前に帰ったはずの母・喜里(富司純子)も観に来ていて、「日本一の孝行者じゃ」と最大のねぎらいの言葉をもらう。

この間、万吉と黒田屋は取っ組み合ううちに屋外に出て川へドボン。近松が駆けつけたときには、命拾いした黒田屋が役人に捕縛されていた。だが、万吉はいくら川をさらっても見つからない。
相棒の身を案じるがあまり川のふちに立った近松もまたドボン。引き上げられたところで、万吉の正体がついに判明する。これがまた意表を突くものだった。

万吉の正体については私もあれこれ推理して、「未来から来た近松の子孫」あるいは「物語の精霊」的なものを予想していたのだが、フタを開けてみれば、かなりファンタジーなものだった。それも母親との思い出と深くかかわっていたのが泣かせる。万吉の純真でアホで、それでいて他人を突き放すような人間らしからぬところも、正体がこれであれば納得がいった(これについては、未見の人のためくわしくは言わないでおこう)。


意表を突かれたのはこれだけではない。
『曾根崎心中』の成功を祝う宴で近松は、お初と徳兵衛の心中について、徳兵衛の父・平野屋忠右衛門(岸部一徳)と番頭の喜作(徳井優)、天満屋の主人と女将から真相を打ち明けられる。何と、近松は彼らにいっぱい喰わされていたのだ(これも詳細は未見の人のため伏せておく)。
これに近松、怒髪天を衝く勢いで『曾根崎心中』を打ち切るとまで言い出すのだが、そこへ「ウソの何があきまへんねん」と天の声。ほかでもない万吉の声だ。
「ウソとホンマの境目がいちばん面白いんやおまへんか」
「それを上手に物語にすんのが、あんたの仕事でっしゃろ。
な、ちかえもん」

そう呼びかけられて近松が笑みを浮かべたところで、エンドロールとともに毎回恒例となっていた近松の歌が流れる。ラストソングはかまやつひろしの「我が良き友よ」(1975年)と、文句のつけようのない選曲であった。

本作らしい結末


何度も意表を突かれながらの大団円、まさに「痛快娯楽時代劇」を謳った本作らしい結末だった。
ラストシーンでの万吉が言っていた「ウソとホンマの境目がいちばん面白い」とはもちろん、後年近松が唱える「虚実皮膜論」を踏まえたものだ。
あらためて振り返ってみると、「ちかえもん」というドラマは、近松門左衛門という実在の人物(ホンマ)と『曾根崎心中』という作品(ウソ)をモチーフに、劇中で実演される人形浄瑠璃も含め時代考証(ホンマ)はちゃんとしつつ、一方で1960~70年代の歌謡曲を入れるなど遊び(ウソ)をふんだんに盛りこんでいた。このホンマとウソの絶妙なさじ加減に、時代劇の新たな可能性を見たような気がする。

NHKでは目下、三谷幸喜作の大河ドラマ「真田丸」が好調だ。
とりわけ先日放送の第8回は、ネットで大評判を呼んでいた。ひょっとすると、2016年はテレビの時代劇にとってひとつのエポックとなるかもしれない。

3月3日のひな祭り


てな、陳腐なまとめ方はわしのプライドが許さんのである。
というわけで、蛇足ながら、最後にもうひとつだけ、最終回で私がふと思ったことを書いておきたい。

最終回が放送されたきのうは、3月3日のひな祭りだった。ひな祭りで飾るひな人形は、小さな紙人形でままごと遊びをする「ひいな遊び」や、紙や植物でつくった人形(ひとがた)で身体の汚れを祓い、それを水に流して神送りする行事が起源とされる。

ひるがえって「ちかえもん」の最終回には、川から人形が引き上げられたり、子供が人形で遊んだりする場面があった。これはひょっとして、放送日がひな祭りということまで念頭に置いてのものだったのではなかろうか。

「ちかえもん」は、劇中で近松が「木曜夜8時にテレビの前に座り時代劇をご覧になろうっちゅう善男善女のみなさん」と視聴者に呼びかけるなど、放送される時間を多分に意識してつくられていた。それだけに、私の説もあながち的外れではないと思うのだが……。
(近藤正高)