年明けに勃発した騒動によって、多少のケチは付いたものの、「木村拓哉」というブランドがもつ価値は揺らぎません。何せ、これまで築き上げてきた実績が段違いなのですから。
浮気だの不倫だの、ゲスだのと、醜聞のそよ風ひとつで、どこかへ飛んでいってしまいそうな、そんじょそこらのタレントとは、ワケが違うというものです。

テレビドラマの絶対王者だったキムタク


そんなキムタクの全盛期といえば、一体いつに当たるのでしょうか? 意見が分かれるところではありますが、2000年から2001年にかけて、彼の人気がとてつもない水準にあったことは間違いありません。
というのも、主演した2000年の『ビューティフルライフ』では41.3%、続く2001年の『HERO』では36.8%という、圧倒的な高視聴率をそれぞれの最終回でマークしたのです。しかも、瞬間最高視聴率ではなく、1話全体の数字。『紅白歌合戦』ですら、40%に届くか届かないかという現代において、その異常性はさらに際立ちます。
この絶頂期ともいうべき、20世紀~21世紀またぎの期間に放送されたのが、『TV's HIGH』です。

『TV's HIGH』が唯一単独のバラエティレギュラー出演だった


彼がSMAPの一員として芸能界デビューした1987年から現在に至るまで、単独でバラエティ番組のレギュラーの座に就いたのは、この『TV's HIGH』のみ。おそらく、人を笑わせている場合じゃない状況がまだまだ続きそうですし、これが最後となる可能性は、十分すぎるくらい十分にあります。
放送された期間は、2000年10月から2001年3月と、わずか2クールだったものの、その内容は、天下の視聴率男が、バラエティというフィールドで初冠を飾るのに相応しい、実に濃密なものとなったのです。

リーゼントのキムタクが放送局を開設する物語


この『TV's HIGH』。どんな番組だったのかというと、テレビドラマとコントの中間のようなつくりになっています。筋立てはこうです―。

あるマンションの一室、そこに住む木村が注文した宅配ピザに、「テレビ局開局キット」なるおまけがついてきました。訝しく思いながらも、箱を開封。そこにはカメラが入っており、そのレンズから見た自分の部屋の様子が、リアルタイムでテレビ放送されていることに、彼は気づきます。
慌てた木村は、同封されていた説明書を一読。「視聴率80%を取らなければ、放送は終了しない」と書いてあったので、さぁ大変。しぶしぶながらも、そのミッションを果たそうと悪戦苦闘。そんな彼に様々なことが巻き起こるのですが、果たしてどうなっていくのか……という感じです。
お馴染みのロン毛スタイルではなく、60年代ロカビリー風リーゼントで固めたキムタクが、何ともバラエティっぽくて、様になっています。

国士から人気アーティストまで、様々なゲストが番組に華を添える


そして、この番組最大の見どころは、豪華すぎるゲスト出演者です。元内閣総理大臣の村山富市、元東京都知事の青嶋幸男という超大物が、わざわざ深夜の10分番組、それもバラエティに出るなど、どうかしています。しかも、青島に関しては、ほぼ毎週出ていたのだから、驚くしかありません。
他にも、石田ひかり、中谷美紀(声だけ)、宇多田ヒカルなど、錚々たる面々が集結。放送作家陣も、ブレイク前からのブレーンである、後の森三中・大島の旦那、鈴木おさむをはじめ、キム兄こと木村祐一、『池袋ウエストゲートパーク』でブレイクしたばかりの宮藤官九郎など、面白くならないはずがない、盤石の布陣で臨んでいます。
これだけ幅広い各分野の超一流を集められたのは、間違いなく、木村拓哉の威光があったからでしょう。去年、同時期に放送していた『HERO』もリバイバルしたことですし、ぜひとも、騒動が一段落したら、彼の人徳で『TV's HIGH 2』を実現してもらいたいものです。


(こじへい)
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