そのことが良く分かる事例として、今後も語り継がれていくのでしょうか。
手掛けたのは、ご存知、株式会社セガ(今は株式会社セガゲームス)。1960年に設立されて以降、数々の名作を生み出してきた、言わずと知れたゲーム業界の雄です。
熾烈なシェア争いから生まれたセガの奇策
まずは、この2本のコマーシャルが生まれた背景を見ていきましょう。
『せがた三四郎』と『湯川専務シリーズ』が放送されていたのは、90年代中頃から後半にかけて。この期間はちょうど、任天堂とソニー・コンピュータエンタテインメント(以下SCE)、そして、セガの3社で、熾烈なシェア争いを繰り広げていた時です。任天堂は「NINTENDO64」、SCEは「プレイステーション」、セガは「セガサターン」と、三社三様のゲームハードを展開し、当時、多くのゲーム少年の頭を悩ませました。「どれを買うのが正解なんだ…」と。
その競争を勝ち抜くために、セガではインパクトのあるCMを次々と打ち出していきます。その最たるものの一つが『せがた三四郎』でした。
『紅白』にも出場した『せがた三四郎』
名前から分かる通り、黒澤明監督のデビュー作『姿三四郎』のパロディであるこのCM。俳優の藤岡弘が、孤高の柔術家『せがた三四郎』を演じます。
この男、セガサターン以外の遊びに興じようとする者を、問答無用で投げ飛ばしたり、絞め技をかけたりするという、かなりの狂人です。
こうした強烈なキャラクター性がウケて、1年にわたりシリーズ化し、1998年2月にCM好感度ランキング2位を獲得。さらに何と、『せがた三四郎』は『第49回NHK紅白歌合戦』にも出場します。NHKホールの舞台上で、怪人イカデビルとショッカーを撃退し、「白組を応援、しろ!!」と、ここでも例によって一喝。企業CMのキャラを国営放送であるNHKがフューチャーするあたり、いかに社会現象化していたか、分かるというものでしょう。
CMのインパクトは絶大だったものの、セガサターンはプレステに劣勢を強いられます。そこで、セガサターンの次世代機として、起死回生を狙い開発されたのが、「ドリームキャスト」です。社運を賭けた一大プロジェクトを前に、次なるマスコットキャラに指名されたのは、藤岡弘のような俳優でも、まして、人気のアイドルでもありません。セガの一社員、湯川英一こと『湯川専務』でした。
『湯川専務』とドリームキャストに社運を託すも…
このCM、物語の形式を採用していて「セガなんてだっせーよな!」「プレステのほうがおもしろいよな!」という子供たちの声をたまたま耳にし、湯川専務がショックを受けるところから始まります。その後、ドリームキャスト完成の報に喜んだり、当時ジャニーズJr.だったタッキーこと滝沢秀明と、本機をリヤカーで売りさばいたりなどの展開を見せ、全8話を放送。素人とは思えない、湯川専務のコミカルな演技が話題を呼び、一躍“時のCM”となりました。
しかし、相変わらず、実機は売れずじまい。秋元康を宣伝プロデューサーとして招へいし、130億円にも及ぶ巨額の宣伝費を投入したものの、プレステの牙城を崩せず、結局、2001年、事実上のゲーム機事業撤退を余儀なくされたのです。
結果として残ったのは、9,900円で投げ売りされることとなったドリームキャストの在庫の山くらい。セガとしては負の歴史でもあるのでしょう。しかし、私たちは忘れません。一瞬だけ、眩いばかりに輝きを放った、商業主義とは全く縁がない、愛すべき2人の人気者がいたことを…。
(こじへい)
※イメージ画像はamazonよりDream cast Single