そのムック本にも掲載されている、東映アニメーションの90年代を語る上で外すことができない名作「おジャ魔女どれみ」と「デジモンアドベンチャー」。
この2タイトルを担当した関弘美プロデューサーにインタビューを行いました。後編では、関プロデューサーがプロデューサーになるまでの道のりや、プロデューサー論についてうかがっていきます。
前編はこちら

男女雇用機会均等法以前、メディアの仕事の募集はなかった
──前編では、「おジャ魔女どれみ」と「デジモンアドベンチャー」に関するお話をお聞きしました。後編では、そこに至るまでの歴史をお聞きできればと。関さんが東映アニメーションに入るまでを教えていただけるでしょうか。
関 男女雇用機会均等法というものが施行されたのが1986年。私はその前に早稲田大学を卒業していました。4年制の大学を出た女性がメディアの仕事に就こうと思っても、全く募集されてなかった。一般職もデスクワークもない。「若干名」と書かれていることはあっても、その場合はお取引先の会社の社長や役員のお嬢さんじゃないとダメだった。
──私は1990年生まれなんですが、正直「すさまじい時代だな」と思ってしまいます。