ダウンタウンを一躍、全国区にした番組と言えば『ごっつええ感じ』です。彼ら2人を中心に展開される全く新しい手触りの笑いは、世間に衝撃を与えました。

そんな『ごっつ』がレギュラー番組としてスタートしたのは1991年のこと。当時のダウンタウンといえば、東京に進出してきてまだ2年目の頃。意外と下積み時代が長い彼らですから、功名を成そうと野心をたぎらせていたに違いありません。そのエネルギーこそが、松本自身が今観ても「面白い」と思える不朽のコントを生み出した原動力だったのでしょう。同時に、意欲的な若手である2人に対し、「多少、無茶をやっても大丈夫だろう」という番組側の意図が働き、かなり危険な企画に挑戦させられることもありました。その結果、起こってしまったのが「エアバッグ事件」です。

ダウンタウンが体を張る企画「なんなんなあに何太郎君」


1991年の放送初年度のこと。番組では「なんなんなあに何太郎君」というコーナーが設けられていました。これは視聴者からの質問に対して、ダウンタウンが体を張って検証するといった類の企画。いまやお笑い界の大御所となり、年末の『笑ってはいけない24時』以外では若手・中堅芸人に無茶をさせて、自分たちは高見から観て笑っていることが多くなった2人にも、そんな時代があったのです。
問題の事件が発生したときの質問は「車のエアバッグって、どれくらいの衝撃で出てくるの?」というもの。カーユーザーの命を守る安全装置として、今ではほとんど自動車に装着されているエアバッグですが、初めて日本車に搭載されたのは1987年のこと。それから4年後ですから、まだまだ一般化する前で物珍しかったのでしょう。


オープニングは2人、エンディングは浜田1人……


車の運転席に松本を座らせて、いざ検証開始。はじめはボンネットを金槌やハンマーで叩きます。ですが、全く反応しません。続いて登場したのが巨大な丸太。それを車体に何度かぶつけたときです。「ボンッ!」という衝撃音と共に、勢いよくエアバッグが飛び出し、それが松本の顔面を直撃しました。
放送では急に浜田一人の映像に切り替わり、「うわ~びっくりしちゃったねぇ~、びっくりしすぎて何太郎くん(松本が演じるキャラ)がどっかいっちゃったよ~」というセリフと共に、コーナーは幕を閉じます。オープニングは2人並んで始まっていたのに、この終わり方……。明らかに不自然です。

要するにこれ、松本がテレビ画面に写ってはいけない顔になってしまったのです。この時の彼の状態は酷いもので、エアバッグの衝撃をモロに受けた顔面は火傷したように晴れ上がり、いたるところから出血。なんと、あまりの激痛から「何太郎くん」のメイクを取れずに、一週間も自宅で休暇を取っていたというのだから、悲惨という他ありません。

松本人志「テレビのスタッフを信用しきっちゃイカンと思った」


後年、松本は自身のラジオ番組『放送室』や現在放送中の『ワイドナショー』でも、この事件について発言しています。
彼の言うところによると、丸太をぶつけてエアバッグが出たというのは実のところフェイクであり、本当はスタッフがスイッチを押し、意図したタイミングで作動させていたのだとか。さらに、スタッフから「エアバッグの前に顔を寄せろ」と指示されてもいたらしいのです。今ではタレントの安全を考慮し、ADなどによる事前検証を行うのは当たり前ですが、当時はそんな習慣がなかったのでしょう。
この件があって以降「テレビのスタッフを信用しきっちゃイカンと思った」と述べている松本。その後もスタッフの怠慢によるトラブルが続いたことで、彼は番組に嫌気が差していき、ついに「勝手にプロ野球の生中継と放送を差し替え事件」によって、番組を終わらせてしまうのです。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonよりHITOSI MATUMOTO VISUALBUM “完成"【豪華5枚組『寸止め海峡(仮題)』よりコント3本を追加収録】 [Blu-ray]
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