物語の素晴らしさでも、主演俳優の名演、ヒロインの可憐な芝居でもない。ストーリー上はあまり重要ではない端役の怪演が一大ブームを巻き起こし、それに牽引されるカタチで大ヒットに繋がるなど、ドラマ史始まって以来の珍事ではないでしょうか。
それだけ佐野史郎の演じる「冬彦さん」は強烈なインパクトを世間に与えました。

冬彦さんが登場するドラマは、TBSで1992年に放送された『ずっとあなたが好きだった』。賀来千香子演じる「美和」と布施博演じる「大岩」の恋愛を描いた(描くはずだった)物語です。高校時代に恋人同士だったものの、ある事件がきっかけで別れることになってしまった2人。時は流れて、社会人となった美和と大岩は29歳の時に再会を果たします。これまで胸の奥底にうずめていた恋心に再び火が灯り、惹かれあう2人。
しかし、大岩には婚約者がおり、美和はすでに既婚者の身となっていました。彼女の結婚相手こそが、東大卒のエリート銀行員・冬彦さんだったのです。

当初は『ロミオとジュリエット』的な物語にする予定だった


当時のプロデューサーによると、このドラマは「『ロミオとジュリエット』みたいな話にするはずだった」とのこと。なるほど。確かに、美和と大岩の関係は障害を乗り越えて恋を成就させようとする、件のシェイクスピア悲劇が展開する構図そのもの。主題歌にあてられたサザンオールスターズの『涙のキッス』も、好き合う男女の切ない別れを歌った楽曲であり、『ずっとあなたが好きだった』というタイトルにぴったりと合致しています。
そのため、ドラマがスタートしてからの数話においては美和と大岩ばかりが目立っており、冬彦さんの存在感はとても希薄。
序盤における彼の印象と言えば、口数が少ない地味なモブキャラといった佇まいでした。

冬彦さんをマザコンキャラに変えた、野際陽子の止血シーン


その流れを変えた事件が起こります。とあるワンシーンで、冬彦さんが指から出血したカットがありました。そこで彼の母親役を務める野際陽子が突然、口でその血を止血して見せたのです。かなりセンセーショナルな場面だったため、当然、周到に準備されたプロットの一部だろうかと思いきや、実は野際のアドリブだったのだとか。
それを見たプロデューサーが「この方向性でいこう!」と決意して急遽、冬彦さんのマザコンキャラ押しを始めたのです。

奇行の数々がウケて、視聴率が急上昇!


事実、この止血シーンがあった回以降から、冬彦さんの狂気は加速していきます。
「んん~」と口を八の字にしてぐずってみたり、木馬に乗って叫んだり……。彼のエキセントリック過ぎる一挙手一投足に、視聴者は釘づけとなります。その結果、初回放送13.0%と低調だった視聴率はうなぎ上りに高まっていき、最終回にはなんと34.1%という、初回と比べて2倍以上の高視聴率をたたき出したのです。「冬彦さん」「マザコン」はこの年の流行語大賞にも選ばれました。
この快挙を、冬彦さんの増長によって、後半かなり出番が削られてしまった布施博は一体、どんな思いで見ていたのでしょうか……。

味を占めたTBSは1年後、キャスト・スタッフを再集結させてドラマ『誰にも言えない』を制作します。
主演はまたも賀来千香子が務め、ヒットの立役者・佐野も当然、登場。そこで彼は、賀来をストーキングする元・恋人の役を熱演。またしてもその突き抜けた奇行ぶりに人気が集まり、こちらも平均23.8%の高視聴率をマークします。

この2本の大ヒット作を生んだ要因として、佐野の怪演ばかりがフューチャーされます。しかしその裏には、新たなキャラ付けのヒントを与えた、野際陽子の機転の利いた好演があることも見逃せないのです。
(こじへい)