学校や職場では頻繁に相撲の話題が交わされるようになり、年配層が多かった国技館には、若い世代が詰めかけます。ついには、“相撲ギャル”なるファンまで登場(現在のカープ女子・セレ女に通じるものがあります)。そのギャルをナンパする目的でチャラ男までやってきて……と、さながら両国はカオス状態に。そんな感じでこの2人の若手力士は、今では考えられないほどの影響力をもっていたのです。
記録と記憶に残る名力士だった貴乃花
後にこの兄弟は、若乃花・貴乃花と改名して、歴史に名を残す活躍をするのですが、特に圧倒的な力を誇っていたのが、弟の貴乃花です。
入門時からサラブレッドとして注目されながら、その下馬評に違わぬ実力を披露し、数々の最年少記録を更新。
ビッグカップル成立に世間が驚愕!
そんな貴乃花が大関に昇進する2ヶ月前、一つのビッグニュースが報じられます。なんと、この花田家の次男坊と女優の宮沢りえが婚約したというのです。当時の宮沢はまだ19歳。ドラマや映画に引っ張りだこの、まさにこれからという時期で、ちょうど今の広瀬すずのような立ち位置でしょうか。
こうした喧騒とは裏腹に、当の2人はいたって幸せそうにツーショット会見へ臨んでいたのが印象的。貴は強い横綱になるし、りえは可愛らしい女将さんになる……そんな予感を誰しもが抱いていました。
たった2カ月で終わってしまった2人の婚約
しかしそれから2カ月後、永遠を約束したはずの2人の愛が突如として終わりを迎えます。貴乃花が史上最年少大関となった同日に「連絡もとってないし、会ってもいない」「(彼女への)愛情がなくなりました」と語り、りえもその2日後、破局会見を開き「残念です」と破談を認めたのです。
急転直下の展開に世間は困惑。
破談の影に意外な人物が……
騒動から22年が過ぎた2014年。意外な人物から真実が語られ、話題を呼びました。「頼まれてぶっ壊したのよ、私が」とテレビ番組で口にしたのは、誰あろう芸能界のご意見番・美川憲一。
りえのプロデューサーも務めていた母としては、おかみさんになられては娘を大女優にするという夢が絶たれてしまうと感じたのでしょう。美川はそんなりえママの気持ちを汲み取り、りえを電話で説得。りえは、電話口の向こうで泣いていたといいます。
破局が決まった後、一度だけ、りえは貴乃花に会っています。「強い横綱になってください」。
一度は生涯を共にすると誓った相手との別れ……。その選択を後で振り返ったとき、「正解だった」といえるようにお互いの道を突き進んでいった結果なのでしょうか。どこぞのお節介なおじさんの口からではなく、いつか当人たちの口から聴いてみたいものです。
(こじへい)
※イメージ画像はamazonより紙の月 DVD スタンダード・エディション