話題のNHK大河ドラマ、「真田丸」。いよいよ夏の陣の立役者の一人、後世の我々には真田幸村の名で知られる、真田信繁が大坂入りし、目が離せない展開となってきた。
そこで、大阪にあるゆかりの地をいくつか巡って、400年前にこの地で激戦を繰り広げた信繁気分に浸ってみることに。

大阪に残る「真田丸」ゆかりの地を巡って信繁気分に浸ってみた

まずは、1600年もの歴史を誇り、真田丸跡地に位置する「三光神社」へ。お参りを済ませた後に、じっくりと信繁の銅像を見学。この、勇ましく指揮をとる姿を見よ! 台座の石は、真田家の菩提寺である、信州上田の長谷寺からわざわざ運ばれたものなのだとか。この界隈は、地名にも「真田山」の名が残っており、彼らが本当にこの地で生きていたのだなあ……という実感がしみじみわいてくる。

大阪に残る「真田丸」ゆかりの地を巡って信繁気分に浸ってみた

この銅像の左に、「史跡・真田の抜け穴跡」がある。
現在は鍵がかかっているので中へ入ることはできないのだが、扉に真田家の家紋、六文銭があしらわれていた。かつて、ここが大阪城下へ通じていたのだろうか……と抜け穴伝説に思いを馳せることができる。

大阪に残る「真田丸」ゆかりの地を巡って信繁気分に浸ってみた

三光神社では11月に「真田まつり」というのがあり、その際には、この抜け穴が開放される模様。

大阪に残る「真田丸」ゆかりの地を巡って信繁気分に浸ってみた

境内には、信繁と猿飛佐助になれる顔ハメ看板も! 背景には信繁が築いた砦=「真田丸」と、大阪城が味わいのあるタッチでバッチリ描かれている。六文銭があしらわれた絵馬や、「勝守」もあるので、叶えたい願いごとがある人はあやかってみては?

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これは三光神社のほど近く、「大坂明星学園」テニスコートの外側にある、今年2月に建てられた「真田丸顕彰碑」。
目の前には、真田信繁・大助父子の冥福を祈って創建されたといわれる「心眼寺」がある。
心の眼、という名称にも魅かれるものが……。このお寺には、信繁四百回忌に当たる2014年に、信繁のお墓も建立されている(建立当時は、この界隈は徳川の管轄地だったため許されなかったらしい)。

大阪に残る「真田丸」ゆかりの地を巡って信繁気分に浸ってみた

心眼寺を出ると、あたりを見守るような表情の興徳寺観音像が。この界隈には普通の住宅街のなかに小さなお寺が点在し、人々の暮らしのすぐそばに、このような祈りの場がいまなお息づいていることを感じさせる。

大阪に残る「真田丸」ゆかりの地を巡って信繁気分に浸ってみた

JR「玉造駅」の西側にある「日之出通商店街」へと抜ける路地に「幸村ロード」を発見!

大阪に残る「真田丸」ゆかりの地を巡って信繁気分に浸ってみた

某お好み焼店が10種類の具が入った「真田十勇士玉」を出していたりと、各店舗がここでしか食べられない、趣向を凝らした限定メニューを提供していた。

大阪に残る「真田丸」ゆかりの地を巡って信繁気分に浸ってみた

ミニサイズのバームクーヘンを6個並べた、「真田六文銭バウム」などのお土産も。


大阪に残る「真田丸」ゆかりの地を巡って信繁気分に浸ってみた

次に、玉造から移動し、地下鉄で恵美須町へ。信繁終焉の地として知られる「安居神社」へ。松の木の下で息絶えたらしく、その当時の松は枯れて残っていないものの、新たな「さなだ松」が植えられ、いまも我々を戦国時代に誘ってくれる。

大阪に残る「真田丸」ゆかりの地を巡って信繁気分に浸ってみた

戦いに疲れ、どことなく悲哀を感じさせる信繁像。三光神社にあった勇猛果敢な銅像から一転、ドラマのような時間の流れを感じさせる像……。ちなみに、信繁の命日は5月7日。
毎年、GW中の5月5日には、慰霊祭(幸村まつり)が行われているようだ。今年はすごい人出になりそうだ。

大阪に残る「真田丸」ゆかりの地を巡って信繁気分に浸ってみた

安居神社のすぐ前にある「一心寺」にも「真田の抜け穴」が!!こちらは井戸跡になっており、かなり地味なスポットなため、見つけるのに時間がかかってしまった。こういう抜け穴を駆使し、徳川軍を翻弄していたのだろうか……。

大阪に残る「真田丸」ゆかりの地を巡って信繁気分に浸ってみた

「一心寺」にはほかにも、「霜降の松」というのがある。大坂夏の陣のクライマックスで、家康がこの松の影に身を潜めていたため、真田軍の攻撃を逃れたという伝説があるそう。
現在、松は残念ながら枯れかけていたが、妙なリアリティを感じる通好みのスポットである。


と、そんなわけで、 大阪市内にあるゆかりの地をいくつか巡ってみた。

ちなみに、いま個人的に非常~に気になっているのが、大阪からJRで約30分の京都・大山崎にある「妙喜庵」にある茶室、「待庵(たいあん)」だ。「待庵」は日本最古の茶室建造物であると同時に、なんと、千利休の作と伝えられる唯一の現存する茶室なのだとか。

ドラマでも小さな茶室で身を寄せ合う利休、秀吉、信繁、上杉景勝の姿が印象的だった。政治の場でもあり、個として向き合う場でもあった茶の湯は、戦国時代をより深く知る重要なキーワードかもしれない。


事前に往復はがきで申し込み、外側から見学するだけで中に入ることはできないのだが、簡素でありつつ、研ぎ澄まされた美を感じることができる。京都まで足をのばす時間の余裕がある場合は、あわせて巡ってみてはいかが?
(まめこ)