プロの世界では、実力がない者はすぐ脱落してしまう。プロ野球界でも毎年、多くの選手が戦力外通告を受けているが、その中でも1993年に行われた横浜ベイスターズの解雇劇は大きな話題となった。


球団の顔を一斉に解雇した横浜ベイスターズ


1993年に横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズに球団名を変えて心機一転を図るも結果は5位。その年のオフ、11月8日に6名の選手が球団に呼び出された。
その選手たちの顔ぶれを見ると、過去8度打率3割をマークしたことがある高木豊、盗塁王を獲った屋鋪要、「こけしバット」でお馴染みだった山崎賢一、ローテーション投手の一人である大門和彦、主戦捕手としてホームベースを守ってきた市川和彦、中継ぎ投手の松本豊である。

横浜ベイスターズはチームの中心選手でもあった高木豊や屋敷らを含む6選手に突如戦力外通告を行ったのだ。
突然、解雇通告をされた選手は茫然自失。高木豊は「いきなり呼ばれてクビと言われても……。冷たい?もういいよ。
言ってもしょうがない」と言い、屋敷は「ゴミをゴミ箱に捨てるように」と発言した。

解雇された選手のその後


横浜を解雇された選手に対して、各球団はさっそく獲得に名乗りを上げている。
屋敷に対しては、巨人の監督だった長嶋茂雄が「あれだけの守備範囲があって、走れる選手はウチには少ない」と惚れ込み、解雇から僅か1週間で巨人入りが決まった。
高木豊は中日が獲得を検討していたが、直前になって回避したことで日本ハム入りに。大門、山崎の両選手も他球団が獲得している。

大量解雇は駒田徳広を獲得するためだった?


ところで、なぜ横浜ベイスターズは主力選手を含む、多くの選手たちを一度に解雇したのだろう。実はこの時期、巨人に所属していた駒田徳広がFA宣言すると見られており、駒田獲得の資金を捻出するための解雇劇だったのではと推測された。

解雇された6人の推定年俸を合わせると合計で約2億4000万円、引退した斉藤明夫などの年俸を合わせると合計で約3億8000万円となり、駒田獲得に必要な資金とほぼ同額であったことも信憑性を与える結果となった。

結局、この年のオフにFA宣言をした駒田を獲得した横浜ベイスターズ。数年後の1998年、この時獲得した駒田らが主力となって38年ぶりの日本一を達成した事実を踏まえると、強引なまでの解雇劇が優勝の遠因となったともいえるだろう。
(篁五郎)

※イメージ画像はamazonより横浜ベイスターズ1998ライブラリー