ジャニーズ事務所といえば日本の男性アイドル市場を独占し、芸能界でも大きな影響力があるのは知っての通り。ジャニーズ事務所から独立後に仕事がなく苦労している元ジャニーズも数多いが、独立後に成功した数少ない元ジャニーズ芸能人の一人に本木雅弘がいる。


本木雅弘のジャニーズ時代


ジャニーズ事務所に入所した本木は、金八先生の姉妹番組『2年B組仙八先生』で1981年にデビューした。その後結成されたシブがき隊のメンバーとして、『スシくいねェ!』などのヒット曲を出した後、1988年にシブがき隊は解散。解散後すぐにジャニーズ事務所を退社し、俳優へと転身する。

役作りでスキンヘッドに挑んだ本木雅弘


俳優転向後の本木が話題になったのは、1989年主演の映画『ファンシイダンス』。寺の修行のため、スキンヘッドにするという場面では、カツラを使わずに本当にスキンヘッドにしてしまった。
アイドルのイメージが強かった当時、役作りでスキンヘッドにしたことが話題を呼んだ。


本木雅弘のヘアヌード写真集


1991年には写真集を発売。本木の写真集はなんとヘアヌード写真集であり、撮影はあの篠山紀信。男性のヘアヌード写真集は世間の話題をさらい、本木から元シブがき隊というイメージが消え去った。

本木雅弘 紅白出場時の衣装とは……


本木は俳優活動以外にも歌手としても活動を続けており、1992年には井上陽水の名曲「東へ西へ」のカバーで紅白歌合戦に出場する。この時本木は、首からコンドームをぶら下げた衣装に尻を見せるパフォーマンスで物議を醸す。本木は「エイズ撲滅メッセージを込めた演出」と説明し、ここでも大きな話題をさらう。

ちなみヘアヌードを発売した1991年と1993年には、今でも毎年話題になる「anan好きな男ランキング」で自己最高となる2位にランクインしている。

本木雅弘にホモ疑惑も


そんな本木は1995年、樹木希林と内田裕也の娘である内田也哉子(当時17歳)にプロポーズをして結婚へ。
その後、本木が樹木希林に結婚の挨拶をする際、樹木希林から「ホモなんですか?」とダイレクトに聞かれたそうだ。

現在では『おくりびと』主演など、本木は俳優としての地位を築いてきたが、ここに辿り着くまでに様々な紆余曲折があったことが分かる。
しかし、己の力で「元ジャニーズ」という色を払しょくした本木。改めて彼の凄さに気付かされるのではないだろうか。
(篁五郎)