ファミリースタジアム


「すべての基本は、ここにある。定価は3900円。ここから、ボクらははじまった」

『ファミスタ百科』(小学館)という本の『ファミリースタジアム』(ナムコ)第1作目の説明文にはそう書いてある。
このファミコンソフトの発売日は1986年12月10日だ。巨人……じゃなくてガイアンツの4番はもちろん「たつのり」、タイタンズのクリーンナップは「ばあす、かけふ、おかだ」だ。
パ・リーグ収録球団は西武をモデルにしたライオネルズ以外は、近鉄・阪急・南海の関西鉄道系連合チームのレールウェイズとロッテ・日本ハムの食品系会社連合チームのフーズフーズというところに当時の「人気のセ、実力のパ」と言われた球界事情を感じさせる。
 
登場選手に個性を与え、その操作のシンプルさと対戦の盛り上がりから子どもたちや若者に熱狂的に迎え入れられた本作。放課後は誰かの家に集まってファミスタ。大学生や社会人は徹夜でオールナイトファミスタ。
それぞれの仲間内のローカルルールもあり、ツーコンのマイクに向かって野次を飛ばすの禁止とか、フライが上がると突然テレビを消す奴が続出したためテレビリモコンは観戦者の友達に預けていたのをよく覚えている。

巨人戦ナイターが毎晩地上波のゴールデンタイムで放送されていた80年代から90年代、今よりずっと身近にプロ野球があった頃の話だ。それからファミスタは押しも押されぬ人気シリーズとして定着し、多くのフォロワーを生み、93年12月1日発売の『ファミスタ94』がファミコン最後の作品となった。

実況パワフルプロ野球’94


そして、その数カ月後の1994年3月11日、1本のスーパーファミコン用ソフトが誕生する。『実況パワフルプロ野球’94』(コナミ)である。まるでテレビの野球中継のような実況、ボールの高低の概念、守備時の中継プレーとそれまでの野球ゲームに欠けていた「野球というスポーツのリアルさ」を再現することに成功し、パワプロは瞬く間にファミスタから野球ゲーム王者の座を奪う。
ちなみにこの年、210安打を放ち一気にスターダムを駆け上がったのがオリックスのイチローだ。
94年は巨人と中日の同率優勝決定戦10.8が国民的行事として知られるが、『パワプロ』と『イチロー』というブランドが同時に世に出た野球史的にも重要な年なのである。翌95年には野茂英雄が海を渡りメジャー挑戦。時代は新しいものを欲していた。

今思えば、90年代のゲーム業界はいかにリアルさを追究するかという勝負だったようにも思える。ハードの性能が上がりグラフィック表現も進化し、94年12月にはソニーからプレイステーションも発売。ファミスタのゲームシステムのシンプルさがそのリアル路線についていけなかったという面は否めない。


1986年 流行語部門の金賞「新人類」


ファミスタ第1作が発売された86年、ユーキャン流行語部門の金賞を受賞したのが「新人類」だった。旧世代とは違う、まったく新しい価値観のもとに行動する若者たちの出現。
そんな新人類の代表として表彰式に出席したのは当時黄金時代に突入しようとしていた西武ライオンズの工藤公康、渡辺久信、そして弱冠19歳の清原和博である。皮肉なもので、あれから30年が経過した2016年、新人類と呼ばれ時代の最先端を突っ走っていた男は薬物問題で世間を賑わしている。

初代ファミスタやパワプロ94に登場する「4番きよはら」。まだ番長でも犯罪者でもない背番号3。
久々にプレイしたゲームの中には、あの頃、僕らが憧れたスーパースターがいた。
(死亡遊戯)