モデル出身の長谷川理恵は、過去に石田純一との不倫で一躍脚光を浴びたが、なぜか現在ではアスリート系タレントに転身している。転身前の長谷川に、スポーツ色など一切なかったはず。
テレビには多く映っていたが、内容といえばもっぱら不倫報道か、あるいは石田についてばかりで、たまに本業のモデル業について触れられていた程度だった。
そんな長谷川はなぜ、アスリート色を前面にだすようになったのだろうか?

長谷川理恵の転機となったホノルルマラソン


自身の公式ブログで、ランニング歴16年と紹介している長谷川。一方、別紙では、ランニングをする以前、特にこれといった運動はしていなかったとも答えている。
そうなると、2000年に初出場したホノルルマラソンは、「アスリート・長谷川理恵」へとシフトチェンジさせるための“布石”だったともとれる。
そもそも、なぜマラソンなのか、どうしてホノルルマラソンだったのか。そこで少し、当時の背景を振り返ってみよう。

長谷川理恵、不倫報道をものともせず!?


長谷川と石田の不倫が報じられた際、石田の方は好感度を下げる形となり、一時的にメディア露出も減ることに。しかし一方の長谷川は、不倫を機にテレビでの出演回数を増やし、知名度を上げることに成功していた。
そんな折に行われた2000年ホノルルマラソン。長谷川は番組の企画でマラソン初挑戦をしたのである。

谷川真理との出会いでマラソンに開花?


このときのホノルルマラソンでは、見事に走りきってみせた長谷川。そこには女子マラソンの谷川真理との出会いも関係している。当時の谷川といえば、ホノルルマラソンの出場経験が豊富で、それなりの実績も残す、現役バリバリのランナー。

長谷川曰く「ある食事会で谷川さんと知り合って、指導していただけることに」とのこと。
ホノルルマラソンがアスリート系転身のきっかけとなったこともあり、もしも長谷川が谷川と出会っていなければ、長谷川のその後の路線もきっと違っていたはずだ。

マラソン初挑戦以降、長谷川は多くのマラソン大会に出場している長谷川。いま思えば、不倫報道で知名度を上げたことをきっかけに、見事にアスリート系路線に転身したといえるだろう。
(ぶざりあんがんこ)

※イメージ画像はamazonより女性としての私 (一般書)
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