男女平等と言われる現代。女性も家庭に入るだけでなく、社会と繋がりを持ったり、子育てをしながら仕事をしたりということも当たり前と言われるようになった。

100年前の女性はどんな風に見られていたのか、当時の本をのぞいてみよう。

100年前の男尊女卑にショック!  どこを歩いていたか聞くと平手打ち
画像はイメージ


女性のこんな態度はダメ?


100年前の文献「親のため子のため」(岸邊福男・著)には、女性の地位や望まれる女性像に関する記述がある。

「女性の地位も上がってきたが、それをはき違えて、思慮の乏しい女子などは、男子があまり威張り過ぎるなど不満の声を漏らす向きさえあるようになった」(292ページ)

例えばどんな女性のことなのか。

「甚だしいのは主人に向かって『あなた、どこに行くの。いつ帰って。まあ、遅くってよ』などの野卑極まる言葉使いをするのも少なくありません」(293ページ)

え.....。それ、筆者ならもう少しぞんざいに「ねーねーどこ行くのー?いつ帰るぅ~?えー!遅いじゃん~」ぐらい言ってそうである。
冷や汗タラタラ。
野卑極まる態度だったなら申し訳ない。しかし、「まあ、遅くってよ」の程度でもNGだというのか。

あなた、どこを歩いていたの→夫、妻をビンタ!?


本では、以下のようなたとえ話が掲載されている。

"ある朝、夫は絹の紋付羽織を着て下駄履きで用事に出た。帰りににわか雨が降ってずぶ濡れになった。泥が羽織にも飛んでしまった。
帰宅すると、出迎えた妻が「あなた、どこを歩いていたのです」と言った。夫は妻の横顔を平手打ちした"

主人の行為と妻の心掛け、どちらが正しいか?というのだ。

どこを歩いてたのと聞いただけでビンタされるなんて、妻としたらたまったもんではない。
ていうか、これってDVでしょう!?

と筆者は思ったのだが、なんと、本は「妻の落ち度」と語る。

「夫は何か用事があって出たもの。(中略)妻は十分に知りながら『どこを歩いていらした』はあまりに角々しい。
(中略)夫がいきなり手を出したと言っても責めることはできますまい」(295ページ)


確かにずぶ濡れ泥まみれの夫を前に、妻がイライラして「どこほっつき歩いてきたのよ」という感じで言ったのなら言葉にトゲがある。それに対して夫も逆ギレするという状況はわからないでもないが、でもやっぱり叩くことはない。
「そんな言い方するなよ!」と一言返せばいいのではないか。

「気の短い荒くなりやすい男子に対しては、女子は優しく出るに限ります。そして何事も"敬"によって服従すべきものと存じます」(295ページ)

男性の修正点はないのか! 叩くのはいいの? と鋭くツッコミたくなるような見解である。

どんな女性像が望まれたの?


本には、妻の肩を持つ意見もあったという記述がある。

曇っていたなら傘を持って出るべきだし、雨が降れば車(いわゆるタクシー)でも乗ればいいし、いくら妻の言い方が悪かったと言っても先に手を出した夫が悪い.....という意見だそうだ。

これに100%同感するが、本はこう綴る。

「夫が正しいという人は、男子の横暴に服従する意気地のない旧式の婦人。妻が正しいという人はいわゆる新しき現代式の婦人」(297ページ)

そう言った上で、本の筆者はこう続ける。

「自分はこの旧式の婦人を好むのであります」(同)

結局、女性は男性に服従している方が良いらしい……。

ちなみに、この本が出た時期は大正デモクラシーが盛んになってきた頃。
モガことモダン・ガールと呼ばれた、西洋文化や流行を取り入れたファッションの女性たちが現れ、自由な気風を世に巻き起こしてゆく。
新しい女性像はこの後出てくることになる。

現代に生まれて良かった……


100年前の女性の地位がまだまだ卑下されて当たり前だった頃の話、いかがだっただろうか。

女性は男性に対して口答えしてはならない、男性には物腰柔らかく、服従の態度で……と、今の私たちからするとぞっとする話だが、100年前はこういう女性像が望まれていた。
現代に生まれて良かったと、ホッとする女性も多いのではないだろうか。

(河野友見 Kono Yumi)

参考文献:『親のため子のため』(実業乃日本社 岸邊福男・著)
※読みやすくするため、現代かなづかいに直して掲載しています。