タレントというのは老境に達するほど、一種の“照れ”が出てくるものです。
例えば、ある若手芸人がいたとして、彼が売れるきっかけとなったギャグがあったとします。
その後はトークに司会にと大活躍。いつしかベテランと呼ばれるようになり、大河ドラマやヒューマンドラマ系映画の端役を務めたりもします。
そんな折に、招かれたトーク番組で昔のギャグをやるように要求されたら……。持ち前のサービス精神から、やるにはやるでしょう。けれど、昔のように全力ではありません。やり終わった後には照れくさそうな目をしてはにかんで見せるのでしょう。

この現象は、もちろん芸人だけに限りません。特に役者となると、これまで築き上げてきたイメージに反するような役柄を出来なくなる場合も多いのが実情です。
そういった意味で、松平健は類稀な役者といえるでしょう。50歳を超えた硬派な時代劇俳優が、スパンコールを散らしたような金色キラキラの着物に身を包み、顔面白塗りのちょんまげ姿でサンバのリズムで踊り狂ったのです。今考えると、よくやったなと思わざるを得ません。

当初ファンは困惑…松平健のイメージと違う曲調


松平健がデビューしたのは、1972年のこと。石原裕次郎に憧れて、芸能界入りを決意したそうです。
74年には勝新太郎が主宰する勝プロダクションと契約。
勝の付き人を務める傍ら、映画『座頭市物語』や昼ドラ『人間の條件』に出演し、徐々にキャリアを積んでいきます。1978年には代表作となる『暴れん坊将軍』がスタート。8代将軍徳川吉宗は彼最大の当たり役となりました。

このように時代劇俳優として確固たる地位を築いていったマツケンが、初めて「あの歌」を披露したのが1994年。舞台の歌謡ショーでのことでした。サンバのリズムに乗って登場し、腰元ダンサーズと共に陽気に唄い踊るマツケン……。
ドラマや芝居で見せる重厚なイメージとは間逆のラテンなノリに、かなりの観客が困惑。そのため、当時はあまり人気曲とはなりませんでした。
ちなみに曲のタイトルは「マツケンサンバII」。一般的によく知られているのはこの「II」の方であり、これ以前につくられた「I」はあまり知られていません。

2003年から少しずつ人気が上昇した「マツケンサンバII」


そんな「マツケンサンバII」が注目を集めたのは、製作されてから10年が経過した2003年のことでした。TVCMや時代劇チャンネルなどで流れ、「あの曲は何だ!?」とジワジワ人気が上昇。

2004年には、公演会場や通信販売でした購入できなかったところから、全国のCDショップで買えるように。ついには、リミックスバージョン、振付DVD付きCDなどが続々と販売され、一大ブームとなったのです。

紅白では最高視聴率を記録


その結果、マツケンは同年年末に放送された歌謡番組へひっぱりだことなります。『第55回NHK紅白歌合戦』では最高視聴率を記録し、『第46回・輝く!日本レコード大賞』では特別賞を受賞するなど、まさにその年を代表する曲として、暮れのテレビを賑やかに盛り上げたのです。
各番組でパフォーマンスを披露する際、マツケンは終始営業的スマイル。歌が終わると、ふと我に返ったような恥ずかしげな表情になり、「早く終わらないかな……」みたいな雰囲気で、司会者とやり取りしているのが印象的でした。

拒否できる立場にありながらなぜ「これ」をやろうと思ったのか……。何とも不可思議。しかし何故か気になる名曲。それが「マツケンサンバII」という曲でした。
(こじへい)

マツケンサンバII
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