ロックフェスティバルは現在、夏の定番イベントして認知されているが、ロックフェスが日本に誕生したのは90年代に入ってからであり、まだ20年ほどの浅い歴史しかない。
さらに初期のロックフェスでは悪天候によるアクシデントが続出した。
いまや伝説となっている1997年のフジロックと、2000年のロックインジャパン、2つのフェスをふりかえってみたい。

大混乱だった1回目のフジロック


1997年3月、主催元のスマッシュより日本で初めての野外型ロックフェスティバル「フジロック」の開催が告知された。富士山のふもとに、洋楽と邦楽のアーティストが一同に会し、2日間にわたって行われるというものだ。

ラインナップは洋楽はレッド・ホット・チリ・ペッパーズ、プロディジー、グリーンデイら。邦楽は電気グルーヴ、ザ・ハイロウズ、ボアダムズといった面々であった。チケットは1日券が1万2千円、2日通し券が2万2千円と高額ながら、音楽ファンならば行って損はない並びであった。

開催初日となる7月26日は、台風9号が近づき、朝から雨が強まりつつあったが、イベントは雨天決行。会場である富士天神山スキー場には続々と参加者が集まっていた。だが、会場へ向かう一本道が違法駐車の車でうめつくされ、最寄り駅と会場を結ぶシャトルバスがスムーズに動かず、大渋滞が発生する。
中には駅で4時間近く待たされ、目当てのミュージシャンに間に合わない参加者もいたり、バスを待ちきれず会場まで10キロ以上の道のりを歩く強者が現れたりもした。

そして会場はスキー場の斜面を利用して設置されたため、ライブが盛り上がるごとに前面に人が殺到し、押しつぶされそうになる危険な状態がいくども発生。さらに、参加者の格好もTシャツ、短パン、ビーチサンダルに簡易的な雨合羽を羽織っただけの軽装であり、天候対策も不十分であった。

そんな大混乱の中、1日目は終了。
そして翌27日の早朝、台風の影響で主催者から2日目の中止が発表された。

中止になったロックインジャパンフェス


フジロックに遅れること3年目の2000年の8月には邦楽主体のロックインジャパンフェスが始まる。主催元は音楽出版社として知られるロッキング・オンである。

初日となる8月12日は快晴に恵まれたものの、2日目の13日は台風接近によりだんだんと雨足が強まっていた。会場は海のそばにあったため、強風が直接吹き付け、ステージの一部が吹き飛ばされるアクシデントが発生。
そのため、ザ・イエローモンキーのライブを最後にフェスは途中中止という事態となった。イエローモンキーは、97年のフジロックにも出演していため一部では“嵐を呼ぶバンド”とささやかれた。言葉の例えとしてワイルドであっても、実際には嬉しくない称号であろう。

期せずして悪天候に見舞われた2つのロックフェスは、主催者、参加者双方に多くの課題を残すことになった。その後、ライブスケジュールの遵守やトイレの増数など、年を経るごとにロックフェスの快適度は上昇してゆく。ロックフェスは試行錯誤を経て日本に定着していったのだ。
(下地直輝)


参考文献
村田知樹「ドキュメント フジ・ロック・フェスティバルからの生還」『Quick Japan』vol16(太田出版)
鶴見済「地獄のフジ・ロック・フェス:1回目から史上最悪」『檻の中のダンス』(太田出版)
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