現在の「日本のエース」は誰だろうか?

ダルビッシュ、田中将大、マエケン、それとも大谷翔平か? 意見は分かれるところだろうが、10年前は日本のエースと言えば、満場一致で松坂大輔だった。今、あらためてこうして書くと感慨深い。
ついでに「ジャイロボール」と真夜中にひとり呟いてみると、死ぬほど懐かしい。

「自信から確信に」コメント力があった松坂大輔


毎年、夏の甲子園の時期にテレビで繰り返し流れるのは、横浜高校時代のエース松坂の勇姿だ。決勝戦でノーヒットノーラン達成。甲子園春夏連覇投手にして、プロ入り後はルーキーイヤーに16勝を挙げ最多勝獲得。
その漫画のようなスーパーヒーローキャラに加えて、18歳の松坂にはファンやマスコミを喜ばせるコメント力があった。ロッテのエース黒木和宏との投げ合いに敗れ、「必ずリベンジします」と口にした6日後の再戦で3安打10奪三振のプロ初完封勝利。天才イチローを3打席連続三振に斬って取り、「自信から確信に変わりました」なんてお立ち台で笑ってみせるハートの強さ。

17年前、ルーキー時代の松坂とバッテリーを組んだ中嶋聡(現日本ハムGM特別補佐)は「歴代いろいろな投手の球を受けてきたけど大輔の場合は入団した時から、18歳だけど18歳のボールではなかったですね」と当時を懐かしむ。

プロ野球を席巻した松坂、苦悩の30代へ


1980年9月生まれの松坂は、猛スピードで世紀末の日本を駆け抜けてみせた。
17歳の夏に甲子園のヒーローになり、18歳の夏には圧倒的な実力でプロ野球界を席巻し、19歳から20歳にかけての夏は6つ年上の女子アナとフライデーされ、駐車違反の球団広報身代わり出頭がバレて、シドニー五輪で日の丸を背負い悲運のエースに。同年代のほとんどがまだ呑気に学生生活を送っていたことを考えると、凄まじいドライヴ感だ。

プロ入り後3年連続で最多勝に輝き、まさに西武ライオンズの、いや名実ともに日本の誇る大エースに成長した松坂。06年オフのポスティングでは60億円の値が付き、レッドソックス入団後2年間で33勝を上げる活躍。そして侍ジャパンのユニフォームを着ればWBC2大会連続MVP投手。

パセティックでロマンチック。もはや嫉妬する気にもなれないビューティフルな10代と20代が過ぎ去り、苦悩の30代へ。

度重なる故障が襲い、11年6月に右肘のトミー・ジョン手術を受け長期リハビリ生活。14年、33歳の元怪物はニューヨークメッツとマイナー契約。
この頃、同じくアメリカでプレーしていて左肘の手術を受けた和田毅(現ソフトバンク)は同級生の松坂からこんな言葉を聞いたという。「無理せず焦らないことが1番大事。オレは早く復帰しすぎたのが失敗したかな」と。
その後、15年シーズンから9年ぶりに日本球界に復帰した松坂はソフトバンク在籍2年間でいまだ1軍登板0だ。今季の2軍成績は5試合0勝3敗、防御率7.82である。

早熟の天才・松坂大輔


今後、1年目から最多勝を獲得するような規格外の高卒ルーキー投手は出現するだろうか? 例えば大谷翔平はいまだ進化の途中にあるが、松坂の場合は投手としてのピークが18歳の時だった。
早熟の天才。彼女は6歳上の女子アナ。
まさに超高校級。今の球界に日テレの女子アナとスキャンダルを起こしたり、流行語大賞を狙えるコメント力のある10代の選手はどこにもいない。NPB計108勝、MLB計56勝。日米通算200勝まであと36勝。甲子園で怪物と呼ばれた少年も今年9月で36歳になる。
全盛期の松坂の投球をYouTubeで眺めていると、まるで懐メロを聴いているように90年代後半から00年代前半の空気感を思い出すことができる。99年の流行語大賞を受賞したのは「雑草魂」「ブッチホン」、そして「リベンジ」。

怪物・松坂大輔。彼は時代を代表する投手ではなく、時代そのものだった。
(死亡遊戯)


(参考資料)
読む野球No.11 18年目の松坂世代(主婦の友社)
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