政治と野球と宗教の話はするな、とはよく言われる言葉だ。
とくに今のご時世、とくに3つめには慎重さが求められるのかもしれない。
だが今回は、とある宗教について大っぴらに書いてみたい。
いや、本当に宗教と呼べるのか、その判断は皆さんに委ねたいと思う。
その名前は、「ココナッツ教」という。
ベトナムにかつて存在した、ココナッツしか食べてはいけない宗教(!?)だ。
ココナッツ。日本では馴染みの薄い果物かもしれないが、筆者の住むホーチミン市では街を歩けばすぐにぶつかる。路上にはリヤカーに山積みにしたココナッツが一個30~40円で売られ、観光エリアでは天秤棒を肩に掛けた行商人が観光客にココナッツを高値で売りつける。ほのかに味のあるココナッツ・ウォーターは電解質が豊富に含まれ、天然のスポーツドリンクだとも言われている。
ココナッツしか食べてはいけないとはー、まるでバラエティ番組の企画のような教義を掲げるこの宗教は、仏教・儒教・道教の3つの宗教をベースとしているが、お経を唱えたり木魚を叩いたりなどそれらしい行為は一切しない。ただただ、ココナッツ以外は食べ物を口にすることはおろか、塩や砂糖などの調味料も使ってはならず、水でさえもココナッツ・ウォーターを代用という徹底ぶり。教祖に至っては、毎夜ココナッツの木の上で座禅を組み寝るという。それが一体どのように世界平和につながるかは、(ココナッツ教の)神のみぞ知るだ。
1963年に、グエン・タム・ナム氏によってベトナム南部のメコンデルタ(メコン河の三角州)で開かれたこのココナッツ教。
彼の身に何があったのか。
ココナッツ教の総本山跡地はメコンデルタにあるフーン島と呼ばれる小島に今でも存在しており、現地のツアーに参加すると訪れることができる。しかし、地元のツアー会社に管理されているもののところどころサビが目立ち、ランチ休憩のついでに寄るためツアーによっては説明されることもなく、珍妙な遊園地の廃墟にしか見えない。「変な施設があるなぁ」くらいにしか思わずとも無理はないだろう。
なお、地元の人にとってもその存在は「小耳に挟んだ程度」だそうで、ココナッツ教の圧倒的知名度の低さが窺える。もしかすると、外国人の方が知っているかもしれない。
しかし、ココナッツ教は最盛期に一万人を超える信者を抱えたという。どうしてこのような、正直よく分からない教義の宗教に人が集まったのか、そこにはベトナムならではの時代背景があった。
1960年代当時、現在のベトナムは北の社会主義と南の資本主義に分かれて火花を散らす戦時下にあった。その中でココナッツ教は、南ベトナム政府の干渉を受けない組織であるという話を聞きつけて、徴兵から逃れたい若者たちが集まる言わば駆け込み寺のような存在として拡大していったのである。当時の信者にはなんと、戦地に送り込まれたはずのアメリカ兵や、1940年にピューリッツァー賞を獲得した小説「怒りの葡萄」を書いた作者の息子(つまり著名人の息子)もいたという。
そうして信者を増やしたココナッツ教だが、何も時代背景を利用したということはなく、教祖のナム氏の平和への思いは本物だったのかもしれない。というのも、彼は南ベトナム大統領に反戦を訴える文書を送り投獄されたこともあり、果ては「7日以内のベトナム統一」を公約に掲げて大統領選挙への出馬まで行ったからだ。
しかし、その公約の根拠は、「私は猫とネズミをいっしょに飼うことができた、つまり北ベトナムと南ベトナムも統一させることができるはず」というやはりどこかが独特。結果、彼が落選したことは言うまでもないし、もし大統領になれたとすると今回の文脈では語られない人物だ。
ココナッツ教はベトナム戦争の終結後もつづき、1990年に教祖が逝去したと同時に解散した。
ネット上には「ココナッツ好きのお金持ちの道楽としか思えない」という声もあり、確かにその通りかもしれない。だが、ただそれだけでは、最盛期に一万人もの信者を擁し、さらに(ほぼ廃墟とは言えど)総本山が観光地として残ることも無かっただろう。「ココナッツしか食べてはいけない」という奇異さとベトナム戦争という時代背景によって、今も細々と語り継がれる存在になったのである。
ココナッツ教の総本山跡地には、ホーチミン市内から日帰りで行ける。
その精神性にぜひ触れてほしい、何かあるのかわからないが、変な廃墟だけはある。
(ネルソン水嶋)
とくに今のご時世、とくに3つめには慎重さが求められるのかもしれない。
だが今回は、とある宗教について大っぴらに書いてみたい。
いや、本当に宗教と呼べるのか、その判断は皆さんに委ねたいと思う。
その名前は、「ココナッツ教」という。
ベトナムにかつて存在した、ココナッツしか食べてはいけない宗教(!?)だ。
教義はひとつ、「ココナッツだけ食べて世界平和を目指そう」
ココナッツ。日本では馴染みの薄い果物かもしれないが、筆者の住むホーチミン市では街を歩けばすぐにぶつかる。路上にはリヤカーに山積みにしたココナッツが一個30~40円で売られ、観光エリアでは天秤棒を肩に掛けた行商人が観光客にココナッツを高値で売りつける。ほのかに味のあるココナッツ・ウォーターは電解質が豊富に含まれ、天然のスポーツドリンクだとも言われている。

観光エリアで見かける行商人、雰囲気はあるがココナッツの売値はちょっと高い。

市場のジュース屋に積まれたココナッツ。
ココナッツしか食べてはいけないとはー、まるでバラエティ番組の企画のような教義を掲げるこの宗教は、仏教・儒教・道教の3つの宗教をベースとしているが、お経を唱えたり木魚を叩いたりなどそれらしい行為は一切しない。ただただ、ココナッツ以外は食べ物を口にすることはおろか、塩や砂糖などの調味料も使ってはならず、水でさえもココナッツ・ウォーターを代用という徹底ぶり。教祖に至っては、毎夜ココナッツの木の上で座禅を組み寝るという。それが一体どのように世界平和につながるかは、(ココナッツ教の)神のみぞ知るだ。
1963年に、グエン・タム・ナム氏によってベトナム南部のメコンデルタ(メコン河の三角州)で開かれたこのココナッツ教。
1910年に良家の息子として生まれた彼は、当時のベトナムを植民地支配していたフランスへ渡り9年間の留学を経て帰国。世間ではエリートと呼ばれる立場にあったが、自ら興した事業に失敗し、35歳で仏教徒としての18年の修行の末に53歳でココナッツ教を開いた。この宗教、ベトナム語で調べてもほとんど情報が出てくることはなく、ベトナムではほぼ知名度がゼロに近しい存在だと思われる。

教祖(ココナッツ教を開く前)。

教祖(ココナッツ教を開いた後)。
彼の身に何があったのか。
総本山跡地は外国人向け観光ツアー…の、オマケ的存在
ココナッツ教の総本山跡地はメコンデルタにあるフーン島と呼ばれる小島に今でも存在しており、現地のツアーに参加すると訪れることができる。しかし、地元のツアー会社に管理されているもののところどころサビが目立ち、ランチ休憩のついでに寄るためツアーによっては説明されることもなく、珍妙な遊園地の廃墟にしか見えない。「変な施設があるなぁ」くらいにしか思わずとも無理はないだろう。
なお、地元の人にとってもその存在は「小耳に挟んだ程度」だそうで、ココナッツ教の圧倒的知名度の低さが窺える。もしかすると、外国人の方が知っているかもしれない。

日本人には見慣れない意匠のゲート。

無駄に豪華?なシャワー設備のようにも見える。
しかし、ココナッツ教は最盛期に一万人を超える信者を抱えたという。どうしてこのような、正直よく分からない教義の宗教に人が集まったのか、そこにはベトナムならではの時代背景があった。
徴兵から逃れるための、駆け込み寺としての機能を果たす
1960年代当時、現在のベトナムは北の社会主義と南の資本主義に分かれて火花を散らす戦時下にあった。その中でココナッツ教は、南ベトナム政府の干渉を受けない組織であるという話を聞きつけて、徴兵から逃れたい若者たちが集まる言わば駆け込み寺のような存在として拡大していったのである。当時の信者にはなんと、戦地に送り込まれたはずのアメリカ兵や、1940年にピューリッツァー賞を獲得した小説「怒りの葡萄」を書いた作者の息子(つまり著名人の息子)もいたという。

信者を募集する当時のビラに載ってある教祖の写真。
「ココナッツを食べれば平和に近づく、いつでも入信歓迎。」とメッセージはシンプル。
「ココナッツを食べれば平和に近づく、いつでも入信歓迎。」とメッセージはシンプル。

ココナッツ教について詳しく教えてくれた、大阪大学ベトナム語学科の岸本さん。
個人的興味でココナッツ教の資料を翻訳したが、「あんまり何も言ってないということが分かった」と話してくれた。
個人的興味でココナッツ教の資料を翻訳したが、「あんまり何も言ってないということが分かった」と話してくれた。
ベトナム統一を目指し、大統領選挙にも出馬した教祖
そうして信者を増やしたココナッツ教だが、何も時代背景を利用したということはなく、教祖のナム氏の平和への思いは本物だったのかもしれない。というのも、彼は南ベトナム大統領に反戦を訴える文書を送り投獄されたこともあり、果ては「7日以内のベトナム統一」を公約に掲げて大統領選挙への出馬まで行ったからだ。
しかし、その公約の根拠は、「私は猫とネズミをいっしょに飼うことができた、つまり北ベトナムと南ベトナムも統一させることができるはず」というやはりどこかが独特。結果、彼が落選したことは言うまでもないし、もし大統領になれたとすると今回の文脈では語られない人物だ。

総本山跡地に建てられた塔は「平和の塔」と呼ばれ、ベトナム統一を表現していると言われる。

ロケットを模した設備、名前は「アポロ」。左脇には地球を模した物体が見える。
ココナッツ教が語り継がれる訳は、時代背景と奇妙な教えだった
ココナッツ教はベトナム戦争の終結後もつづき、1990年に教祖が逝去したと同時に解散した。
ネット上には「ココナッツ好きのお金持ちの道楽としか思えない」という声もあり、確かにその通りかもしれない。だが、ただそれだけでは、最盛期に一万人もの信者を擁し、さらに(ほぼ廃墟とは言えど)総本山が観光地として残ることも無かっただろう。「ココナッツしか食べてはいけない」という奇異さとベトナム戦争という時代背景によって、今も細々と語り継がれる存在になったのである。
ココナッツ教の総本山跡地には、ホーチミン市内から日帰りで行ける。
その精神性にぜひ触れてほしい、何かあるのかわからないが、変な廃墟だけはある。
(ネルソン水嶋)
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