その反面、簡単に入学できるため、甘い夢を抱いた結果、夢敗れ去っていく若者が増えたのも事実。間口は拡張したものの、芸能界で成功を掴むことの難しさは、今も昔も変わらないのです。
多くの若者が入学した沖縄アクターズスクール
そういった意味で、NSC(吉本興業の学校)と、沖縄アクターズスクールの功罪は大きいのかも知れません。
前者は栄えある第一期生にダウンタウンを輩出するという出来過ぎた幕開けと、その後も次々とお笑い界の星を誕生させた実績により、「お笑いは教室で習うもの」という常識を生み出しました。
後者は、島国・沖縄から歌って踊れてルックスも抜群なタレントを多数本土へ送り込み、90年代後半のJーPOPシーンを席巻しました。
どちらも、数多くの若者に「学校に通いさえすればああなれるのかも…!」と勘違いさせてしまったという意味で、その影響力は計り知れないのです。
アクターズ出身タレントが多数出演した『THE夜もヒッパレ』
「見たい、聴きたい、歌いタイ!」
この合言葉でお馴染みだった番組といえば、『THE夜もヒッパレ』です。前身番組である『夜もヒッパレ一生けんめい。』から数えると8年半もの長きに渡って、日テレで放送されていた同バラエティ。タレントのカラオケをそのまま番組にするという、数年前から流行中の「歌ウマ系番組」の雛形といって差し支えないでしょう。
そんな『ヒッパレ』では、何故だか沖縄アクターズスクール出身のタレントが多数出演することでもお馴染みでした。
安室奈美恵、SPEED、Folder5もブレイク前に出演
具体的には、スーパーモンキーズ(安室奈美恵・MAX)、SPEED、Folder5、知念里奈などが代表格。しかも、ブレイク前に起用していたことを鑑みるに、何らかの提携関係があったのだと推察されます。
特にSPEEDは、同番組でグループ名を公募して決定した経緯を持つ、筋金入りの『ヒッパレ』産ユニット(ちなみに、最終候補まで残ったのは、現グループ名と「沖縄チャキチャキ娘」の2案だったのだとか)。代表曲『STEADY』や『White Love』などのヒットで爆発的人気を博したあとも、恩返しとばかりに同番組に出演し、他人のヒット曲を熱唱していました。
沖縄アクターズスクールの今
このように『ヒッパレ』との蜜月が印象的だった沖縄アクターズスクールですが、その歴史は古く1983年まで遡ります。マキノ正幸という人物により開校され、90年代中ごろから、先述のように日本芸能シーンのトップランナーともいうべきタレントを次々と輩出したことにより、一躍、全国に名を轟かせた同校。最盛期には、大阪と横浜にも姉妹校を構え、数多くの入学希望者が押し寄せました。
現在はどうなっているのかというと、姉妹校の2つは閉鎖され、沖縄校も営業しているのかどうか不明とのこと。規模を縮小しただけなのか、それとも極度の経営不振に陥ったのか……。どちらか定かではありませんが、いずれにしても、最近では目立った新人スターを発掘できていないところを鑑みるに、もう、アクターズスクールは過去の学校になったということは確かでしょう。
しかし、私たちは忘れません。かつて歌って踊れる島んちゅたちが、土曜夜22時の1時間番組から、全国区のタレントへと羽ばたいていったことを。
(こじへい)
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