最近、番組を共演していたフリーアナウンサー夏目三久との交際の噂が浮上して世間を騒がせたのは、恋愛スキャンダルには縁のなかった有吉もいよいよ結婚かと思わせる小さな事件だった。
そんな、今では不動の人気を誇る有吉弘行には有名なエピソードだが、今でもトラウマとなっているらしい「どん底」時代があった。その栄華と凋落の発端となったテレビ番組「進め!電波少年」の猿岩石の大陸横断ヒッチハイク旅行後のエピソードと、再ブレイクまでの経緯を振り返ってみたい。
「進め!電波少年」で大ブレイクした有吉弘行
1996年に人気番組「進め!電波少年」の企画で、半ば強引にヒッチハイクでイギリスまで行くこととなった無名の芸人「猿岩石」は、有吉弘行と小学校からの幼馴染み・森脇和成とのコンビ。
番組の強引な企画の面白さや、予測不能な二人の行動へのハラハラ感もあり、次第に「猿岩石」は注目を集めてゆく。その後無事ロンドンにゴールしたのだったが、その経験を出版した書籍「猿岩石日記」は瞬く間にシリーズ累計で250万部のベストセラーとなった。
その人気は出版だけにとどまらず、秋元康プロデュースによってリリースされた「白い雲のように」など歌でも人気を博し、レコード大賞新人賞も受賞した。
有吉弘行の「どん底」時代
有吉は、ブレイク前は給料5万円だったのが、人気絶頂期には最大月収が2000万円以上にまでなったという。しかし、猿岩石ブームが急速に終焉を迎えると、仕事も人も転がるように減っていき、あっという間に収入が無くなっていったそう。元々無駄使いをしなかったという有吉ではあったが、7000万円程あったという預金残高が減り、4年ほどで月の収入はゼロになったというのだ。
その頃の時期を、有吉自身も「見通しが甘かった」と振り返っている。森脇とのコンビ猿岩石も解散し、給料は歩合制に切り替えられ、悔しさに耐えながら小さな仕事でもこなしていく日々は、精神的にも人生の上でも「どん底」だったに違いない。
そんな時期を経て有吉が再ブレイク果たしたきっかけは、言わずと知れた持ち前の「あだ名芸」。しかしその根底には、経験してきた栄光と挫折をいつも側で見てきた仲間の芸人たちの応援と、有吉自身の忍耐強さによるものが大きかったのではないだろうか。
(空町餡子)
※イメージ画像はamazonよりオレは絶対性格悪くない!