六年ぶりに復活を遂げた宇多田ヒカルが絶好調だ。新作『Fantome』は日本国内でオリコンチャート1位を獲得しただけでなく、全米チャートでも6位の売上を記録し、国内外で話題となっている。


もともと宇多田ヒカルはアメリカからの帰国子女として売り出された。デビューシングル『Automatic/time will tell』が発売されたのは1998年の12月9日。15歳にして自ら作詞作曲編曲までを手がける多才ぶりが強調されていた。

多くを明かさず 宇多田ヒカルの戦略


宇多田ヒカルは、1970年代に「怨歌」の歌い手として活躍した藤圭子の長女であることはよく知られているが、これはデビュー後のマスコミ報道で明らかにされたものだ。当初、宇多田ヒカルの経歴の多くは明らかにされることはなかった。これはプロモーションの戦略のひとつでもあった。

デビュー当時、彼女の容姿がうかがえるのは『Automatic』のPVくらいであった。
そこで披露される独特の動きを、風貌が似ていたオセロの中島知子が『笑う犬』(フジテレビ系)でパロディ化することもあった。

マス媒体を選ばなかった理由は


宇多田ヒカルはデビュー2ヶ月前の98年10月に「interFM」においてラジオ番組『Hikki's Sweet&Sour』をスタートさせている。同時期には「FM NORTH WAVE」と「CROSS FM」において『WARNING HIKKI ATTACK!!』もはじまる。

「interFM」は、全編外国語のプログラムや洋楽を多く流す放送局であり、首都圏の数あるFMチャンネルの中でもマイナーな存在である。さらに「FM NORTH WAVE」は北海道、「CROSS FM」は福岡県でのみ流れる放送局だ。
ラジオの中でもとりわけメジャーではない場を、宇多田ヒカルはプロモーションの場に選んだのだ。

さらにデビュー前には、一部の音楽関係者に『time will tell』が収録されたアナログレコードのプロモ盤が配られた。
これは、クラブなどでかけられることを想定したものだ。
テレビや音楽雑誌といったマス媒体ではなく、地方のラジオや、クラブといった小さな場から徐々に話題を広げようとしたのだ。その手法は現在はネットのSNSを活用した“口コミ”として顕在化しているといえるだろう。

計255万枚のヒットを記録した


宇多田ヒカルがデビューした1998年は音楽産業においてひとつの転換期であった。彼女のデビュー作『Automatic/time will tell』は、8センチシングルと、12センチシングルの2バージョンで発売された。
8センチシングル現在はほぼ絶滅した"短冊形"と呼ばれる小さいCDである。
一方で12センチシングルは、通常のCDのサイズと同じであり収録分数が8センチよりも多い(技術的には容量ギリギリの80分まで収録可能)。『Automatic/time will tell』は2つあわせて、255万枚の売上を記録する。

これは日本でもっとも売れたデビューシングルであるものの、当時の音楽チャートは、両者を別集計していたため、それほど話題にはなっていない。それどころかこの曲はチャート1位にもなっていない。意外な記録である。

宇多田ヒカルがデビューして20年あまり、日本の音楽産業は劇的に変化した。
その中でもコンスタントに実績を残し続ける彼女はやはり天才なのかもしれない。
(下地直輝)

参考文献:宇野維正「1998年の宇多田ヒカル」(新潮新書)


※イメージ画像はamazonよりCut (カット) 2009年 06月号 [雑誌]