手のひらサイズのコンパクトなファミコン『ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ』が11月10日に発売となる。昔なつかしのファミコンの名作30種を内蔵しており、見た目は当時のファミコンそのまま。
情報が発表されるや、オッサン世代を中心にネットはお祭り騒ぎとなった。
ファミコンは1983年7月15日に発売された、80年代文化を象徴するゲーム機である。しかし、そのイメージが強すぎて、80年代で終わったものと捉えている方も多いのではないだろうか?
実は、ファミコンのソフトは94年まで発売され続けていた。では、最後を飾ったのはどんなゲームだったのだろうか?

ファミコン最後のソフトは『高橋名人の冒険島4』


ファミコン最後のソフトが発売されたのは94年6月24日。タイトルは『高橋名人の冒険島4』。そう、栄光の歴史を締めくくったのは、ファミコンブームの象徴「高橋名人」をモチーフとしたゲームだったのである。
ミリオンヒットを記録した『高橋名人の冒険島』をご記憶の方は多いのではないだろうか? 実は、あのゲームにはファミコンだけでシリーズが4作もあったのだ。


圧倒的な名人人気に支えられた初代『高橋名人の冒険島』


まずは、86年9月に発売された初代『高橋名人の冒険島』。
前年に発売された『スーパーマリオブラザーズ』のメガヒットにより、同じような横スクロールアクションゲームが乱発された時期に、人気絶頂にあった高橋名人をモチーフにしたことで、その中では飛び抜けた存在感を示していた。
高橋名人の教え「ゲームは1日1時間」では、到底不可能な難易度と面のボリューム。セーブ機能なんてもちろんなく、コンティニューでさえも裏ワザありきといった仕様。少なくとも筆者の周りには、最後までクリアできた子どもはいなかったほどのシビアなアクションゲームであった。

ファミコンのライバル機を宣伝する高橋名人!?


続編の『高橋名人の冒険島2』が発売されたのは91年4月。すでにファミコン以上のスペックを誇るスーパーファミコン(SFC)が登場しており、さらにゲームボーイ(GB)、PCエンジン(PCE)、メガドライブ(MD)も普及。ファミコンの独占市場は崩壊していたが、それでもこの年に発売されたソフトの本数で言えば、ファミコンが156本で1位だった。


『冒険島2』発売時期は、ファミコンバブルがはじけるギリギリのタイミング。大ヒット作の続編で手堅いヒットを狙ったのだろうか?
しかし、この時点で世間的には高橋名人はすでに過去の人。それどころか、当時の名人は在籍していたハドソン(当時)が社運をかけて開発したPCEの宣伝部に配属され、裏方仕事に回っていたのだから、唐突なリリースとしか思えなかった……。

1994年のファミコンソフトはわずか7本のみ


ともかく、良質なアクションゲームとして一定の支持を集めた『冒険島シリーズ』は、SFC、GB、PCEと3つのハードにも登場した後、翌92年7月に再び続編となる『冒険島3』をひっそりと発売する。
すでに、ゲーム市場はSFCが圧倒的シェアでトップに立ち、PCEやMDもCD-ROMを使った大容量ゲームが躍進。8ビット機であるファミコンは完全に時代遅れの産物であり、ディスクシステム用のディスクの発売はこの年でひと足早く終了となってしまう。


そして、運命の94年。この年に発売されたソフトは『高橋名人の冒険島4』を含め、わずか7本だった。次世代機となるセガサターンとプレイステーションの発売がこの年の末なのだから、それもやむなしといったところだろう。
発売元のハドソンは、ファミコン初のサードパーティ企業。つまり、任天堂以外で初めてファミコンソフトを販売した会社である。しかも、ファミコンブームを支えた立役者が主役のゲームだ。
ファミコンの歴史の最後を飾るのに、これほどふさわしい作品もないのである。
(バーグマン田形)

※イメージ画像はamazonより公式16連射ブック 高橋名人のゲームは1日1時間 (ファミ通ブックス)