ジャックナイフ……。それが千原ジュニアのあだ名でした。
確かに、昔の宣材写真を見ると怖い顔です。特に目つきが悪く、角ばった骨格も相まって、風貌はさながらヤクザのようです。

今は全く別人の、良い人然とした顔ですが、もちろんこの大幅な変化は、単にジュニアの人柄が改善されて生じたわけではありません。2001年3月26日に起きた、とんでもない事故が原因です。

顔面が石柱に激突! 眼球がとび出る大惨事


この日の夜、自前のバイクで帰路を急いでいたジュニア。道中、一台のタクシーと衝突寸前になります。瞬間、彼の脳裏によぎったのは「愛車を傷つけたくない」という思い。
その気持ちが「バイクを倒す」という選択を躊躇わせ、ハンドルを切って避けたところ、猛スピードのままガードレールに激突。
この時、顔面が石柱に激しく打ち付けられたため、鼻が「グシャ」っと曲がります。あごは真っ二つに割れ、左頬と前頭骨を骨折、おでこの神経は切断。さらには、眼球の受け皿である眼窩低と内壁を骨折したことにより、眼球がだらんと下がっていたというのだから、その状況たるや想像を絶する凄まじさだったことでしょう。

本人によると、事故の瞬間から怪我を負ったあたりまでは、鮮明に覚えているとのこと。バイクのハンドルを切り、ガードレールが眼前に迫って「あー!」と思って以降は意識消失。
気づいた時には、路上に自分の血が大量に流れ出しており「マジかよ!」と思ったといいます。
なんとか自力で立ちあがろうとするも、これほどの事故。全く、身体が動かず再び気を失ってしまい、次に目覚めた時はすでに手術台の上にいたそうです。

ホステスを連れて病院に駆けつけた兄・せいじ


大量出血のために、ジュニアの身体は温度を失っていたそう。処置を担当した医師や看護師の顔、院内の景色も全て歪んでいます。朦朧とした意識の中、ふと、自分の下半身に目をやると、右足が不自然な角度でグニャリと歪曲していたとのこと。

ちなみに、兄・せいじは、この事故の夜どうしていたのかというと、バーでホステスの女性をくどいていたのだとか。
マネージャーからの連絡をうけ、しぶしぶホステス連れの酔っぱらった状態で病院を訪れた時には、ジュニアは集中治療室の中。
弟の記憶だと、その時、せいじは笑っていたといいます。つくづく「残念な兄」だということが窺い知れます。

「もう表には出れない」と思った千原ジュニア


さて、話をジュニアに戻しましょう。手術が終わって一命は取りとめたものの、意識を取り戻したときに待っていたのは、変わり果てた自分の顔。「これでは、もう表には出れないな」。そう思い、作家になることを真剣に考えたと後に彼は語っています。

けれども、兄・せいじだけは事故後、医師から「命は大丈夫です」と言われてすぐ、「神様が『お前らはお笑い界に必要やから』とジュニアを残してくれた」と直感し、「売れるのを確信した」といいます。なんという楽観主義! しかし、彼の予想は的中するのです。

事故から136日後、トークライブで現場復帰


芸人仲間からの励ましもあり、表に出られる顔にするため、ジュニアは形成手術を決意。骨の代わりにチタン12枚を入れる大手術を行い、見事、事故から136日後、千原兄弟のトークライブにて現場復帰を果たします。
なお、事故の影響で左目のみが二重まぶたになったため、右目もそれに合わせるカタチで二重にする手術も後に行ったとのこと。そのため今の外見からは、「ジャックナイフ」と呼ばれたときの怖さは感じられません。
どちらかというと、優しい印象です。それは整形手術の影響だけではなく、長く苦しい闘病生活を送ったことで、彼がある種の“悟り”を開いたことも、少しは関係があるのでしょう。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonよりprints (プリンツ) 21 2009年夏号 特集・千原ジュニア [雑誌]