しかし、既に、滝沢秀明が座長を務める3時間にもおよぶ舞台で、シークレットで座長の代役を務めたのが、当時ジャニーズJr.時代の亀梨和也である。
ミュージカル「DREAM BOYS」
ジャニー喜多川氏が作・構成・演出を担当し、ジャニーズタレントが大勢出演している恒例のミュージカル「DREAM BOYS(通称、ドリボ)」。
2013年からはKis-My-Ft2の玉森裕太が主演を務めている(2015年は中山優馬とダブル主演)が、初公演は、2004年1月、帝国劇場にて滝沢秀明が主演。共演は、CDデビュー前だった関ジャニ∞、KAT-TUNら。滝沢は、21歳で最年少座長をつとめた。
初演の「DREAM BOY」は約1ヵ月間行われ、千秋楽で、同年5月に大阪の梅田コマ劇場での再演が発表された。しかし、タッキー&翼のコンサートツアー「滝翼2004春魂」と重なり、5月1日から7日間の主役はシークレットのままチケットが販売された。
舞台が大阪なので、滝沢がジャニーズJr.時代、「東のタッキー、西のすばる」といわれ人気を二部した渋谷すばるが主演という噂もあったが、抜擢されたのは亀梨和也だった。
無名の亀梨を座長に抜擢! ジャニー社長の大胆なキャスティング
当時、ジャニーズJr.の中で亀梨は赤西仁と共に圧倒的な人気があったが、一部のジャニーズJr.ファンを除いて無名だった亀梨だけに「どうして亀梨なの?」という声もあがった。「亀梨君は、稽古の様子を見ても誰よりも真面目に取り組んでいて、引っ張っていたような印象がありました(Jr.時代からの亀梨ファンのTさん)」というように、ジャニー社長は亀梨の仕事に対する真剣さと底力を見抜いていたのだろう。
ファンからも驚きばかりではない。当時は尖っていて、よく喧嘩をしていたというKAT-TUN。最年少メンバーの亀梨が座長に抜擢され、一人だけ部屋が与えられたことは、表立たないまでも確執、軋轢があったに違いないし、亀梨の孤独感や責任、苦悩ははかりしれない。
しかし、さまざまな重圧のなかで、亀梨は立派に滝沢の代役を務めた。
「亀梨君は公式には座長とはいわれず代役として主演を務めました。大変だったと思いますが、最終日に尊敬する滝沢君から花束をもらって『立派な座長だった、よく頑張った』と褒め称えられて、それだけでも満足だったと思います(既出、Tさん)」
「DREAM BOY」を育てた亀梨和也
翌年の2005年には正式に亀梨が座長を受け継ぎ「Hey!Say!Dream Boy(ヘイセイドリームボーイ)」を再演した。当時亀梨は19歳で、滝沢の最年少座長記録を更新した。2006年は、亀梨和也と渋谷すばるがダブル主演、さらに、2007年~2009年、2011年、2012年と、玉森にバトンタッチするまで、亀梨が座長を務め「DREAM BOY」を育てた。
ちなみに、2005年は、亀梨は初座長を務め、ドラマ「ごくせん第2シリーズ」「野ブタ。をプロデュース」に出演し、お茶の間にも広く知られ、大躍進の年になった。
日本初の大回転フライングは伝説に
舞台の主役、座長を務めるだけではく、亀梨は毎年高度なアクロバットの技に限界ギリギリまで挑み続けた。
特に、2011年の帝劇100周年記念公演の際は、中国雑技団直伝の日本初の『険勝好運舞空大回転(大回転フライング)』に挑戦。5mの高さからバンジージャンプをして回転し、元の位置に戻る演技を繰り返すダイナミックかつ危険な技を、2日間の練習でマスターしなければならなかったという。
客席もシーンと静まり返る帝国劇場で、全身全霊を傾け離れ業に挑む亀梨と、それを真剣な表情で手に汗を握り見つめるファンの息が止まるほどの緊迫感は、今も伝説として語り継がれているほどだ。
その大回転フライングは、2015年に中山優馬が亀梨の過去映像を見て自ら「やりたい」と志願。同じ装置を使い、演出を多少替えて技を継承したが、5、6回練習すると腕と足が動かなくなるほど難しい技だったと話している。
なんだかんだいわれても、ジャニーズは競争の厳しい世界だ。
(佐藤ジェニー)