「しゃべるように歌ってくれ」

アフリカの飢餓と貧困層を救済する目的で、1985年にリリースされた『We Are The World』。そのレコーディングの際、プロデューサーのクインシー・ジョーンズからこうリクエストされたのが、今年ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランです。

今回の受賞に関しても一切連絡がつかないなど気難し屋だと思われる彼をして、ノーギャラかつ指示付きで歌わせるのだから、チャリティソングのパワーとはすごいもの。

そんなディランに友人から歌声が似てると言われ、以降、歌唱法を模倣し続けてきたのが誰あろう、桑田佳祐その人。彼もまたチャリティに熱心なミュージシャンの一人であり、1993年からは「Act Against AIDS(以下AAA)」というエイズ啓発運動の一環であるライブイベントに、定期的に参加しています。

桑田佳祐とMr.Childrenがタッグを組む


エイズに対する正しい知識を広めるため、スタートしたAAA。80年代にアメリカで存在が明らかになったこの病について、当時はまだ世界的に理解が乏しかった時代。その偏見・差別を無くすことは国際的に急務と捉えられていました。
そんな時勢の流れを汲んで始まったのが、AAAであり、現在は12月1日の「世界エイズデー」に合わせて開催しているとのこと。

こうしたチャリティ活動の一環として、1995年に誕生したのが桑田佳祐とMr.Childrenのコラボレーションプロジェクト『奇跡の地球(きせきのほし)』でした。

ミスチルのプロデューサー小林武史が仲介?


2組は事務所も異なれば、プライベートで交流があるわけでもありません。では、何故手を組むことになったのかといえば、楽曲のプロデュースを務めた小林武史の尽力によるところが大きいと言えるでしょう。

ミスチルのプロデューサーとして有名な彼が、80年代後半から90年代前半にかけての時期に、桑田及びサザンオールスターズの楽曲制作に深く関わっていたことは知る人ぞ知る事実。この共作期間における、桑田が小林へ寄せた信頼度合いは絶大なもので、「彼が嫌だと言っても、これからのサザン関係に巻き込んでいきます!」と発言したほど。
けれども、小林を重用し過ぎることを危惧したのか、サザン34枚目のシングル『クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)』以降は、一切、小林と関わらなくなってしまいました。

しかし、2人の仲が険悪になったわけではないのは、後に小林主催のイベント「ap bank fes」に、桑田がゲスト出演していることからも明らか。
1995年のこの時も、切れることなく続いた縁がきっかけとなり、ミスチルとのコラボが実現したのです。

ダミ声全開で歌う桑田佳祐


この『奇跡の地球』における桑田のボーカルは、桜井和寿と被らないようにかダミ声全開。それは、ディランをはじめ、リトルリチャード、ジョン・レノン、前川清などの影響を混ぜこぜにして完成した、物まね芸人が真似るような、いかにも桑田的な歌唱です。

もちろんこのコラボ、ただチャリティに便乗しただけの企画モノでは終わりません。シングル内面には、エイズ感染者のグラフや詳細などが記載されていたり、CDを取り外すとWHO調べの世界のエイズ患者の状況(1993年まで)のグラフを見ることができるなど、かなり真剣にエイズ問題と向き合っており、桑田が書いた歌詞も世界の危機を憂うような内容になっています。
そんな小林武史の力と、2組のミュージシャンのチャリティ精神によって、実現したこのシングル。12月1日の「世界エイズデー」を前にぜひ聴き直したいところです。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonより奇跡の地球 Single
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